2009年7月26日日曜日

7/26 Today 太田道灌暗殺(1486)

太田道灌 - Wikipedia: "文明18年7月26日(1486年8月25日)定正の糟屋館(神奈川県伊勢原市)に招かれた道灌はここで暗殺された。享年55。

『太田資武状』によると、道灌は入浴後に風呂場の小口から出たところを曽我兵庫に襲われ、斬り倒された。死に際に「当方滅亡」と言い残したという。自分がいなくなれば扇谷上杉家に未来はないという予言である。"

あれほど主家である上杉家に尽くしたのに、その上杉家に暗殺されるとは可哀想。道潅は目立ちすぎたのだ。

源頼家といい太田道灌といい、当時は風呂場で殺されることが多かった。刀を持って入浴できないから風呂場では誰も丸腰で無防備。絶好の暗殺のチャンスだったわけ。

「非武装中立論」も丸腰になるということだからやっぱり危険。アメリカ人から銃を取りあげることもこれと同じで、普通のアメリカ人にとってはトンでもないことなのだ。でも普通の日本人の感覚では誰もが銃を保有することが出来るというアメリカ社会は異常で理解できない。ニッポンでは秀吉の「刀狩り」以来ずっと平民は丸腰で、上層階級である武士による「切り捨て御免」に慣らされてきたから、お上による国民武装解除に対する拒絶反応が希薄なのである。

2009年7月25日土曜日

7/25 Today 散人のバス釣り記念日(2006)

おいらがはじめてブラックバスを釣った記念すべき日:
山中湖:バスを釣ったぞ!: "昨日買った道具でいよいよバス釣りに挑戦。悪戦苦闘の数時間。でもなんとかバスが一尾釣れた。20センチもあったぞ。 記念写真:"


あれから3年、おいらの技術はいまだに中途半端なまま。精進精進。

2009年7月24日金曜日

「司馬遼太郎と村上春樹の共通点は、ニッポン人の集団的邪悪性についての認識である」(内田樹)

内田樹がこんなことを言っている:
おじさんの胸にキュンと来る (内田樹の研究室): "村上春樹は司馬遼太郎の跡を継ぐ「国民作家」なのであるが、それに気づいている人は少ないという話。

彼らは私たちの社会の深層に伏流している、邪悪で不健康な「マグマ」のようなものについて意識的である点で共通している。

『坂の上の雲』と『ねじまき鳥クロニクル』が同じ「マグマ問題」を扱っているということを言う人はあまりいないけど、実はそうなのである。

その「マグマ」のようなもの(司馬遼太郎はそれを「鬼胎」と呼んだ)は尊王攘夷運動や日比谷焼き討ちや満州事変やノモンハン事件や血盟団事件や60年安保闘争や全共闘運動や連合赤軍事件やオウム真理教事件などさまざまな意匠をまとってそのつど地殻を破って噴出してくる。

日本人の心性の深層にわだかまるこの熱価の高い衝動に触れない限り、日本人を集団的な熱狂のうちに巻き込むことはできない。

これを根絶することは不可能である。

してもいいけれど、仮に根絶できたとしたら、そのときに「日本人」というものはもういなくなる。

集団が成立する程度には熱狂的であり、暴力的・排他的に機能することを自制できる程度には謙抑的である「許容範囲」にこれをコントロールするのが、さしあたり日本の「大人」の仕事である。

そのためにはこの「どろどろして不健康で暗いもの」の機能と生態と統御についての技術的知が必要である。"

これは「名言」である。この「マグマ」のような集団的衝動が、われわれニッポン人を特徴づけてきた。昔は「軍国主義」、戦後は「猛烈会社員主義」、今は「出る杭をたたく弱者と環境にやさしい清く貧しい平等主義」。すべて同根である。

共通するのは、「金太郎飴」的な画一性と動き出すといっせいに噴出する「マグマ」的衝動。恐ろしいくらいだ。

戦前の日本は、この「マグマ」的衝動のおかげで、世界に冠たる軍事大国に「発展」した。

戦後の日本は、この「マグマ」的衝動のおかげで、世界に冠たる「経済大国」に発展した。

21世紀の日本は、この「マグマ」的衝動のおかげで、世界に冠たる「みんな平等で貧しいキューバみたいな官僚国家」に発展するではないか。

NHKを見ていると、月収が二十万円では体の不自由な親を介護施設に入所させることが出来ないので自分で面倒を見なければならない。これはシステムがおかしいとの趣旨の番組をやっていた。これは小泉改革のせいだとのこと。NHKなどのポリティカリーコレクトおばさんの言うとおりにやっていると「みんな一緒に清く貧しい社会」へまっしぐらである。こんなキューバ的社会はごめんである。

2009年7月20日月曜日

7/20 Today「 海の日」(7月第3月曜日)

海の日 - Wikipedia:"海の日(うみのひ)は、1996年に制定された日本の国民の祝日の1日である。制定当初は7月20日だったが、祝日法の改正(ハッピーマンデー制度)により2003年から7月第3月曜日となった。

国民の祝日に関する法律(祝日法)では「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている。"

でも日本の「海離れ」は著しい。日本の外洋船員数も、漁業従事者数も、ヨット人口も、今や激減。日本は「農民国家」に逆戻りしつつある。

国土交通省や地方自治体の行政の基本が「陸」にあるからしかたがないところか。法定安全器具は国際価格とくらべてべらぼうに高いし、航海機器(通信)の規制緩和は全く遅れているし、北海道庁は北海道へのヨット渡航を禁止するし、今回トカラ列島でも役場は「ヨットは出ていけ」と言い出すし、困ったことである。

「海洋国家」の基本は「移動の自由」の保証だ。風の力だけで世界中どこにでも移動できるヨットは、「自由の獲得」という意味で、海洋国家の原点である。欧米諸国でのヨット人口の多さには、こういう国民的な文化の背景がある。

ヨットはいざとなれば軍事力にもなる。ダンケルク撤退作戦ではイギリス中のヨットが動員され兵員輸送に活躍した。だからイギリスでは今でもヨットには最高の敬意を表して海軍旗を掲げることが許されている。日本みたいにプレジャーボートを目の仇にして迫害する国家は弱体化するのである。

2009年7月19日日曜日

7/19 Today 鈴木善幸が死ぬ(2004)

鈴木善幸 - Wikipedia: "鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年(明治44年)1月11日 - 2004年(平成16年)7月19日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。
郵政大臣、内閣官房長官、厚生大臣、農林大臣、自由民主党総裁(第10代)、内閣総理大臣(第70代)を歴任した。 明治生まれとしては最後の内閣総理大臣である。"

影が薄い総理大臣で、外交問題でも「大失言」をやらかすし、評判はパッとしなかった。しかし、とても真面目な政治家だったようだ。


鈴木善幸総理の秘書官だった人(誰か忘れた、大蔵省OB)が書いているが、鈴木善幸の国会答弁は「原稿棒読み」と批判されたが、鈴木ほど官僚の書いた答弁案に手を入れる総理はいなかったのだそうだ。だから秘書官は国会が始まると毎晩徹夜徹夜でたいへんだったらしい。その自分で何度も書き直した原稿を国会で「棒読み」したとのこと。

マスコミに馬鹿にされて悔しくないですかと秘書官が問うに、鈴木は、総理大臣の答弁は以後の国会審議のベースとなる重要なものだから「棒読み」がいい、世間をうならせる演説を即興でする人もいるが、後で議事録を読んでみるとまるで内容がないのが通例だ、「棒読み」に限ると答えたそうな。

人は見かけではわからないものである。

2009年7月18日土曜日

日経「文学の周遊」(中沢義則):吉行淳之介「恐ろしい場所」……これは優れて「現代的」であるべき小説だ

今日の日経夕刊で吉行淳之介の『恐ろしい場所』が取りあげられていた(編集委員中沢義則)。あれはホンマに怖いお話しで、その中でも一番印象に残っているとっても恐ろしいお話しが適確に紹介されていたので感激。吉行淳之介が何とかして入居できた下宿の娘が作るお弁当のお話しだ。娘は、蓮根や竹輪の中に得体の知れぬ毒々しい色の詰め物を押し込んだ気味の悪いオカズを吉行に食わせようとする。「鋭敏な感受性を持つ主人公はそれに絶えきれず逃げ出す」と中沢義則氏は解説するが、こういう「鋭敏な感受性」は現代ニッポンには見あたらなくなってしまったようだ。NHKの朝の料理番組を見ているが、軒並みこういった類の料理ばっかりで、おいらみたいな旧世代人類にとってはとても気持ちが悪いのである。

ゴテゴテした「手間暇の掛けた愛情弁当」とやらは日本独特の産物らしい。お金持ちの国アメリカでも子供の弁当はピーナツバターのサンドウィッチと決まっている。重たい昼食をとる欧州各国でも晩飯はスープとチーズのシンプルなものが定番。ところがニッポンのテレビでは、貴重な電波割り当てを独占する正直半分ぐらいの番組局で、アホタレントが「オイシー!」とか「ヤワラカーイ!」とかの「ボキャ貧」言葉を連発しているのである。ニッポンはいつの間にこういった「食い物オブセッション」しかない意地汚い国になってしまったのか。

戦前世代だった吉行淳之介の持っていた「感受性」がいつしか失われ、飢餓記憶だけが脳細胞に深く織り込まれてしまった戦後の日本人が、それを解消しようとしてただただ「食い物」に執着してしまった結果だろう。ニッポンの農村利権集団はそれを利用して更に儲けようと画策し、この傾向が一層助長されることとなっている。悲しいことである。



アサヒ:中国人の農業実習生の「残業代」は時間300円!

あらら、こんなことをやっているのだ:
asahi.com(朝日新聞社):中国人研修生の成功確率は3割 「違法残業」も覚悟 - ビジネス・経済: "面接は5、6人ずつ、1組に約30分。50人を面接した後、農家が気に入った半数を再び呼び入れて「2次面接」が始まった。全員を立たせたまま、農家の7人は「早い者勝ち。おれはあの気の強そうな子にする」「残りものには福があると言うぞ」などと日本語でやりとりし、それぞれ採用する人を決めた。約40分で計17人が合格した。"
まるで東南アジアに繰り出した農協視察団の面々が現地の怪しげなクラブで相方を選んでいるような雰囲気。

彼女たち(ほとんどが若い女性)の基本給は月6万円、「残業代(「お手伝い」と呼ぶらしい)」は時間300円。日本にやってきた中国人実習生の7割はお金を貯めることが出来ず、以前より貧しくなって帰国するという。

ニッポンの恥だな。こんな農家が作ったものは食いたくない。「ポリティカリーコレクト」が大好きな人権団体はなにをやっているのだ。

7/18 Today 源頼家暗殺(1204)

源頼家 - Wikipedia: "源 頼家(みなもと の よりいえ)は、鎌倉幕府第2代将軍(鎌倉殿)。鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡男。母は北条政子。生誕 寿永元年8月12日(1182年9月11日) 死没 元久元年7月18日(1204年8月14日)

「修禅寺にてまた頼家入道を刺殺してけり。とみに、えとりつめざりければ、頸に緒をつけ、ふぐりを取りなどして殺してけりと聞えき。」『愚管抄』(巻第六)"
「ふぐり」とは「○○タマ」のこと。土臭い吾妻武士は野蛮だったのだ。

写真は頼家の面という。風呂の湯に毒を入れられ顔が膨れ上がってしまっていた。無念の形相のように見える。

2009年7月17日金曜日

7/17 Today 富士山大噴火(864)

別ブログに書いたが、今日は富士山大噴火の日らしい:
Letter from Yamanakako: 864年(貞観6年)の今日「富士山大噴火」……西湖と精進湖が出来る

ところで、伊豆半島は本州とは別のプレート上の山塊だったってことはご存じでした? 伊豆半島は昔々フィリピンの方から流れ着いたものだそうです。

南の海上からやって来た伊豆が本州とぶつかったので丹沢とか富士山が膨れ上がったそうな。どうりで、伊豆半島はちょっとニッポン離れをした地形。流人を流したのもあそこが名実ともに「外界」だったからでしょうな。

でも今や富士山や伊豆・箱根の温泉郷は「ニッポンの文化」らしい。外来植物であるコメがニッポンの文化であることと同じ。

外来種イジメはもういい加減にやめたらどうかな。ウナギも中国産は半値。違いはプロでも味では分からず、農水省肝いりプロジェクトのDNA鑑定をしないと区別が付かないらしい。

2009年7月16日木曜日

NHKクローズアップ現代:「ウイグル騒動」……隣の不幸は一番のおかず

NHKクニヤはそう感じているようで、嬉しそうに「ウイグル騒動」を伝える。 シアリアスといえば、まあ、その通りなんだけれど……:
クローズアップ現代 NHK"7月16日(木)放送ウイグル暴動~中国の“誤算”~1000人以上の死傷者を出した中国・新疆ウイグル自治区での暴動。サミットに出席するためイタリアを訪れていた胡錦涛主席が急遽帰国するなど、暴動は建国60周年を前に引き締めを強化していた中国政府に大きな衝撃を与えた。暴動はなぜ起きたのか。背景にあるのは、国策によって移住を進めてきた漢族に対するウイグル族の反発だ。自治区の発展が漢族主導で進む中、経済格差と差別の実態にウイグル族の不満は膨らみ続けた。一方、今回の暴動では、中国メディアが漢族側の受けた被害を一斉に報道。当局も海外メディア向けにプレスセンターをいち早く設置するなど、鎮圧行動の正当性を国際社会にアピールしようと積極的なメディア戦略を展開した。分離独立をめぐって対立の歴史を繰り返してきたウイグル族と漢族。中国の"アキレス腱"とも呼ばれる少数民族問題の深層に迫る。"
基本的な問題は「中国は領土を広げすぎた」ということだろう。 ローマ帝国のハドリアヌス帝の決断が今求められているのかも。

でも、ハドリアヌス帝の洞察は、ウヨ的ムードに舞い上がったアホ・ローマ市民には理解されなかった。それがローマ帝国の滅亡を早めることとなる。胡錦濤が今一番頭を悩ましているのは、中国のアホ・ナショナリズムをどうやってコントロールするかと言うことだろう。ロシアもこれに気がついていち早く「ソ連」の領土から撤収をはじめた。イギリスの撤退は、もっと早くからで、めざましかった。中国も、あんな辺境は辺境として貧しいままに放置し、自国の繁栄を優先した方がいいと思う。

生産性が悪いくせに平等意識だけは一人前でオンブに抱っこで生活している「辺境」は、早いこと「独立」し勝手にやって貰った方がよほど世のため人のためなのである。ニッポンに於いても同じだ。

7/16 Today 中野孝次が死ぬ(2004)

中野孝次 - Wikipedia: "中野 孝次(なかの こうじ、1925年1月1日 - 2004年7月16日)は作家、ドイツ文学者、評論家。千葉県市川市須和田出身。父は大工。著書『清貧の思想』、愛犬ハラス(柴犬)との日々を描いた『ハラスのいた日々』はベストセラーとなった。"


清貧の思想』は、単に過去の清貧思想家の生き方を羅列しただけのもので、それほど面白い考察ではなかったが、爆発的に売れた(1992年発刊)。バブル崩壊の直後だった。時代がそういう本を必要としていたのだ。

いまの時代の『清貧の思想』は、さしずめこれか:



バブルとはしょせん「頭がいかれている状態」だから、いろいろアホなことにお金を遣う。バブルの崩壊とともに、人々は平常心を取り戻し、消費パターンは堅実化する。とてもいいことである。

2009年7月14日火曜日

アサヒ:農水族「利敵行為」「軽く見ている」 鶏卵大会中止要請

なんか面白い:
asahi.com(朝日新聞社):農水族「利敵行為」「軽く見ている」 鶏卵大会中止要請 - 政治: "自らの権益にしがみつく族議員、その顔色をうかがう官僚、振り回される業界。「日本鶏卵生産者協会」の生産者大会が昨年2月、農林水産省幹部によって再三の中止要請を受けた問題は、そんな3者の、いかにも古めかしい構図を浮かび上がらせる。"

自民党は、日本の農村こそ自分たちの「金城湯池」だと思っていたのに、タマゴ業界から冷たくされたので拗ねている。これは意味深長。

日本の鶏卵生産業界は非常に国際競争力がある。日本の農産物で国際水準並みの低価格で供給されているのはタマゴと鶏肉だけだからだ。これはみんな「専業」であることと、昭和30年代、日本の総合商社が鶏卵インテグレーションに頑張ったからだ(省スペース農業であり強欲地主のボロ儲け過剰利潤を避けられたことも大きい)。おいらが幼かったときは牛肉よりも高かった貴重品であるタマゴがいまやきわめて安価に供給されるようになっている。日本に住みながら農家(地主)にぼられないような食生活をしようと思えばコメ抜きで親子丼を食うこと。これに尽きる。江戸っ子粋人はてんぷらソバのそば抜きを「ヌキ」と言ってよく食べたものだ(要は天ぷらだけを食った)。親子丼も「ヌキ」で食えば粋だし、メタボとも無縁。

閑話休題。自民党の描く日本の農業は、あくまでも「地主」である「兼業農家」の福祉向上が実現する農業。兼業農家は一票格差のおかげで日本の多数派だから、集票を考えれば合理的な選択なのかも知れないが、それでは日本経済と日本農業の将来は暗い。

国際競争力がある先端的なタマゴ鶏肉業界が、自民党と袂を分かちたいと考えていることは、非常に良く分かる。自民党ではニッポンの農業は再生されないと思う。

7/14 Today ビリー・ザ・キッドが射殺される(1881)

ビリー・ザ・キッド - Wikipedia: "ビリー・ザ・キッド(Billy the Kid, 1859年11月23日 - 1881年7月14日)は、アメリカ西部開拓時代のカウボーイ、無法者。ニューヨークに生まれ南部で育ったと言われる。本名はヘンリー・マッカーティー(Henry McCarty)とされるが、偽名としてヘンリー・アントリム(Henry Antrim)、ウィリアム・H・ボニー(William H. Bonney)という名前も知られている。1880年12月に友人でもあった保安官、パット・ギャレットによって仲間と共に逮捕される。1881年4月18日に刑務所を脱走。同年7月14日、ニューメキシコ州フォートサムナーにてギャレットに射殺される。"


お墓の石を削って持ち帰る人がいるらしい。鼠小僧のお墓もそうじゃなかったかな。
彼の墓石は有名人にありがちなことに、度々記念品として削られて持ち帰られてしまうため、現在は写真のように檻の中にしまわれてしまっている。 墓石にはこのような墓碑銘が刻まれている。

Truth and History.
21 Men.
The Boy Bandit King
He Died As He Lived
William H. Bonney "Billy the Kid"

(真実と経歴。21人を殺した。少年悪漢王 彼は彼らしく生きて死んだ ウィリアム・H・ボニー 『ビリー・ザ・キッド』)

2009年7月13日月曜日

NHKクロ現「おひとりさまの住まい」……もういい加減に高齢者を「メシの種」にするのはやめて欲しいんだけれど……

いつものことながら、うんざりしたこの番組:
クローズアップ現代 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]: "クローズアップ現代「“おひとりさま”の住まい 安心の老後は?」女子大生とお年寄りたちが助け合いつつ共同生活。こんなユニークな老後の住まいが各地で生まれています。生き甲斐と安心のある“ついの住みか”の姿を探ります。出演 ノンフィクション作家…加藤仁,【キャスター】国谷裕子"

背広とネクタイした人の「ご高説」なんか高齢者には「もう結構」。余計なことをしないで、フィリピン介護士の入国自由化を認めろ!そうすればすべての問題は解決する。

入居一時金350万円、毎月の家賃11万5000円の高齢者施設が「とても安い新サービス」なんだとさ。アホらしい。

高齢者が求めていることは、死ぬまで住みなれた自宅で過ごし、動けなくなったらせめておむつの交換をして欲しい、それだけ。メシが自分で食えないようになったら、それは死ぬときだと認識している。すべての動物がそうだ。「女子大生」とやらを同居させるのも、みんな一緒に遊戯をするという「コミュニティー」なんかも、余計なお世話。願い下げだ。

それなのに、やたらに「評論家」とやらがマスコミに登場し「正しい介護施設の在り方」なんかを説教する。あいつらそれでメシを食っているのだ。老人問題を自分を含む介護でメシを食っている利権集団への利益誘導に結びつけようとする魂胆がミエミエ。どっかに行け!

人にはそれぞれある。老人ホームに入ってみんな一緒にゲートボールをしたいという人もいるだろうが、だれにも邪魔されたくない、でも自分のディグニティーだけは最後まで守りたいという人もいる。むしろそういう人の方が多いだろう。それなら言葉なんかわからなくっても結構。フィリピン人の介護士を自宅に住まわしてやり、家賃分で介護サービスを受ける方がよほど合理的だ。

なぜこれが実現できないのか。箱物中心の介護産業がニッポンの巨大な利権産業と化しているからである。終身雇用ベースの給料を貰い、空調の効いた事務所で「仕事」をする「なんとかマネージャー」や、背広をきてネクタイを締めた「介護評論家」が、それでメシを食い、自分の既得権を主張するのである。年寄りが払う介護保険料のほとんどがあいつらの人件費と化けて消えてしまう。年寄りがなにをして欲しいのかという現場のニーズとはかけ離れた方向にものごとは進んでいる。

格好のいい「評論」をする専門家や、なんとかマネージャーや、一緒に住まわせる女子大生徒やらは、年寄りのおむつの世話をしてくれるのか! カッコいいことを言うだけでなにもしない。おいらは願い下げだ。実際に動いてくれるフィリピン人介護士の方がよほどいい。このほうが国民経済的にも、ものすごい経費節約となる。

老人を食い物にする介護利権集団よ、去れ!


7/13 Today フリーダ・カーロが死ぬ(1954)

フリーダ・カーロ - Wikipedia: "マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン(Magdalena Carmen Frida Kahlo y Calderón、1907年7月6日 - 1954年7月13日)は、メキシコの画家。メキシコで最も有名な画家の1人で、特にイサム・ノグチやレフ・トロツキーとの不倫など、その奔放な恋愛遍歴は、メキシコやラテンアメリカの女性の理想像の1つとされ、何度か映画化されている。メキシコ共産党員でもあり、居室にヨシフ・スターリンの肖像を掲げて暮らしていた。1954年7月13日、肺塞栓症で逝去。彼女の生家・通称「青の家」(La Casa Azul)は、現在「フリーダ・カーロ博物館」となっている。"

なにかおっかない感じで苦手なタイプだが、トロツキーと一緒にいる映像が残っている(↓)。これでは、なかなかかわいい。トロツキーの鼻の下の長さも必見。



2009年7月12日日曜日

NHK BsHi : 「ピラミッドはこうして造られた」……これ、カルチャーショック!

NHKの普通の主婦向け番組は、エコロ賛歌で満ちあふれた農村利権集団への利益誘導番組ばかりだが、たまにやる科学・歴史番組のなかは実にいいものがある。この番組を見て、驚倒。目からウロコだった:
NHK BSオンライン: "今から約5000年前、エジプトの砂漠地帯に忽然と現れたピラミッド。平均2.5トンの石を300万個積み上げて造られている大ピラミッド。地上60メートルの場所には、重さ60トンもの巨石も使われてる。クレーンもない時代に、この巨大ピラミッドをいったいどうやって造ったのか? 古来、様々な研究者が謎解きに挑んだが、そこ答えは出ず、古代エジプト史上、最大の謎とされてきた。ところが今回、ついにこの謎を解き明かしたという人物が現れた。フランス人建築家ジャン・ピエール・ウーダン氏である。ピラミッドの登頂調査をはじめ、ウーダン氏のピラミッド調査に同行取材、神秘に満ちた、大ピラミッド建造の謎を興味深く解き明かしていく。"
こういう手があったのか! 実に驚いた。

それにしても、「ピラミッドの謎」はどうしていままで謎のままだったのか? エジプト考古学会が外国人研究者による調査を極度に制限してきたからである。今回の新学説も現地検証調査は限られた範囲でしか許されなかった模様。あいつらは極度にナショナリストで外来種排除主義者であるから。

とにかく再放送があるようだから、絶対に見るべし。おどろき桃の木山椒の木。古代エジプト人は、実に頭がいいエンジニアであったことを認識するだろう。頭が悪くてはあんな偉大な文明を作れたわけがないのである。

頭が悪い原理主義者ばっかりのニッポンじゃ、文明はなかなか生まれないな。つい悲観主義に陥る。

7/12 Today 『悪魔の詩』訳者殺人事件(1991)

もう18年も経つのだ:
悪魔の詩 - Wikipedia: "『悪魔の詩』(あくまのし、あくまのうた、訳書にルビはない。原題:The Satanic Verses)は、1988年に発表された、イギリスの作家サルマーン・ルシュディーがムハンマドの生涯を題材に書いた小説である。日本では、筑波大学助教授五十嵐一(いがらし ひとし)によって邦訳(『悪魔の詩(上・下)』、新泉社、1990年)がなされた。

イギリスでは1988年ブッカー賞最終候補となり、また同年のホワイトブレッド賞小説部門を受賞するなど高い評価を得る一方、現代の出来事や人物に強く関連付けられた内容がムスリム社会では冒涜的であると受けとられ、激しい反発を招いた。この結果、一連の焚書騒動、イラン最高指導者ホメイニによるルシュディーの死刑宣告に続き各国の翻訳者・出版関係者を標的とした暗殺事件が発生した。

1991年7月11日 - 日本語訳を出版した五十嵐一(筑波大学助教授)が勤務先の筑波大学にて殺害され、翌日に発見された(悪魔の詩訳者殺人事件)。"
この「死刑宣告」はいまだに取り消されていないらしい。

経緯:
1989年2月14日 - イランの最高指導者アーヤトッラー・ホメイニーによって著者のルシュディー、及び、発行に関わった者などに対する死刑宣告が言い渡され、ルシュディーはイギリス警察に厳重に保護された。死刑宣告はイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告された。

1989年2月15日 - イランの財団より、ファトワーの実行者に対する高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)が提示された。

1989年6月3日 - 心臓発作のためホメイニーが死去。ファトワーの撤回は行われなかった。ファトワーは発した本人以外は撤回できないので、以後、撤回することはできなくなった。

1991年7月11日 - 日本語訳を出版した五十嵐一(筑波大学助教授)が勤務先の筑波大学にて殺害され、翌日に発見された(悪魔の詩訳者殺人事件)。他の外国語翻訳者も狙われた。イタリアやノルウェーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。

1993年 - トルコ語翻訳者の集会が襲撃され、37人が死亡した。

1998年 - イラン政府は、ファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も支持しないとの立場を表明。

2006年7月11日 - 悪魔の詩訳者殺人事件で(実行犯が1991年から日本国内に居続けたと仮定した場合の)公訴時効が成立した。

まあ、ブッシュ君みたいに気に入らないからと言って戦争をおっぱじめるより「死刑宣告」の方が安上がりだけれど、思いこみの強い原理主義者は困りものです。ニッポンでも「カンキョー、カンキョー」とお経みたいに唱える輩が増えた。



2009年7月11日土曜日

東京都議会選挙:中選挙区制だから、頭を使わなくちゃ駄目だな〜

明日はいよいよ東京都議会選挙。新宿区では定員4議席。ほとんどやる前から結果が分かっている。まるで面白くない。でも、頭は使いようだ。

自分の支持政党を応援するために投票するのではなく、悪い奴を「落とす」ことに集中して投票するのである。これは結構むつかしい判断となるが、頭脳トレーニングにもなる。

AV女優も立候補していて、これもまたありかとも考えたが「死に票」とはしたくない。いろいろ考えたあげく戦略を決めて期日前投票。

農村バラマキ政党にはとにかく投票しない。伝統的に農村への利益誘導を主張する与党はもちろん、最近は野党でも都市住民の利益を無視して農村に媚びを売るようになっている。農村部の圧倒的な集票力と「一票格差」を考えれば当然の選挙戦略だろうが、自分たちの政治理念を平気で捨て去る姑息な手段であり、あまりにもさもしい。

でも「みんな一緒」が大好きなエコ狂いのアホ若年層はそれに靡いているらしい。このままではニッポンがますますヒャクショウ化・貧困化していくことは避けられない。おいら老年層にとってはどうでもいいことだが、将来の経済的負担がすべて若年層に掛かっていくことを考えれば、とても悲しいことである。

日経:不況でマンゴー「太陽のタマゴ」が二個3万円に値下げ!……でも、ぼったくり度は全く同じ

今日の日経夕刊。高額食材の値下がり続いているとの報道。国産高級和牛やブランドマンゴーや高級マグロなどの水産品の値崩れがすさまじいという。ああいうものを喜んで食う風潮はバブル以外の何ものでもなかった。国民はようやく平常心を取り戻しつつあるのだ。長期的に見て、今回の世界大不況も、まんざら悪いことではなかった。でも、下がったと言ってもまだめちゃくちゃ高い。まだまだ下がるだろう。

値下げしたブランド超高級マンゴーはこれまで二個5万円で贈答品として売られていたという。今どきこんなマンゴーを贈られた人は、あきれはて、贈った人の常識を疑うことになるのは間違いがないところ。値下げしたといっても二個3万円じゃ贈った人は大奮発したつもりでもみんなから軽蔑されるのがオチ。たかがマンゴーに三万円を払うアホだと広告することとなり、みなから馬鹿にされるのである。

今回の不況は人々の平常心を呼び戻しつつある。たかが食い物にバカダカイ値段を有り難がって払うのはカッコワルイ「バブル現象」であった。ようやく人々はそれに気がついた。この変化は構造的・非可逆的なものであり、単なる不況による一時的なものではない(当たり前でしょう。たかがマンゴーに3万円も払うのは誰がみてもアホそのものだ。南米じゃマンゴーは落ちてるのを拾って食うのが正しい食べ方)。

この「超バカダカイマンゴー」の生産販売は宮崎県の東国原知事の肝いりのプロジェクトだったそうだ。彼は時代の変化を完全に読み間違いした。自民党の総裁になりたいと言いだしたのも、彼の感覚がずれている証拠だろう。

ニッポンの農林水産物価格には、この手の「バブル的価格設定」が多すぎる。彼らは時代の変化を完全に読み間違っているのである。

7/11 Today 北条政子が死ぬ(1225)

北条政子 - Wikipedia: "北条 政子(ほうじょう まさこ、保元2年(1157年) - 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。伊豆国の豪族、北条時政の長女。子は頼家、実朝、大姫、三幡姫。伊豆の流人だった頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所(みだいどころ)と呼ばれる。夫の死後に落飾して尼御台(あまみだい)と呼ばれた。法名を安養院(あんにょういん)といった。頼朝亡きあと征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺された後は、傀儡将軍として京から招いた幼い藤原頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。"
類い希な政治家であった。

頼朝が死に、子供たちも皆死んでしまってからの政子がすごい:
承久3年(1221年)、皇権の回復を望む後鳥羽上皇と幕府との対立は深まり、遂に上皇は京都守護伊賀光季を攻め殺して挙兵に踏み切った。上皇は義時追討の宣旨を諸国の守護と地頭に下す。上皇挙兵の報を聞いて鎌倉の御家人たちは動揺した。武士たちの朝廷への畏れは依然として大きかった。

政子は御家人たちを前に「最期の詞(ことば)」として「故右大将(頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い、逆臣の讒言により不義の宣旨が下された。秀康、胤義(上皇の近臣)を討って、三代将軍(実朝)の遺跡を全うせよ。ただし、院に参じたい者は直ちに申し出て参じるがよい」との声明を発表。これで御家人の動揺は収まった。『吾妻鏡』や『承久記』には政子自身が鎌倉武士を前に涙の演説を行い、御家人は皆落涙した旨の記述がある。

軍議が開かれ箱根・足柄で迎撃しようとする防御策が強かったが、大江広元は出撃して京へ進軍する積極策を強く求め、政子の裁断で出撃と決まり、御家人に動員令が下る。またも消極策が持ち上がるが、三善康信が重ねて出撃を説き、政子がこれを支持して幕府軍は出撃した。幕府軍は19万騎の大軍に膨れ上がる。

後鳥羽上皇は宣旨の効果を絶対視して幕府軍の出撃を予想しておらず狼狽する。京方は幕府の大軍の前に各地で敗退して、幕府軍は京を占領。後鳥羽上皇は義時追討の宣旨を取り下げて事実上降伏し、隠岐島へ流された。

あの頼朝ですら、朝敵となることは極度に恐れた。臣下源氏という立場上これはどうしようもないことである。でも伊豆の田舎生まれの政子は、朝廷の権威なぞなにするものぞとばかり平気で朝廷との戦いを始め、撃ち破ってしまう。鎌倉政権の「革命的」性格がこれで確定することとなる。

政子の評価はいろいろあるが、この点だけを取ってもとてもエライ人であった。

2009年7月10日金曜日

「水俣病でメシを食え」(吉永利夫)

あらら、日経ビジネスにこんなことを書いている人がいた:
負の遺産こそ最良の地域コンテンツ:日経ビジネスオンライン: "「水俣病でメシを食え」。私は常々、こう連呼しています。水俣病という最悪の公害を生み出した水俣。その水俣だからこそ伝えられることがある。そして、それが水俣という地方都市の活性化につながる——。"

書いている人は、この40年間、まさに水俣問題でメシを食ってきた人。今度、国が大幅譲歩した最終決着で仕事がなくなったことに危機感を持たれているご様子。

でも、水俣ばかりじゃない。全国にはこの手の「ビジネス」が無数にある。具体例はすぐ20ほどは思いつくが、敢えて書かない。これが生業(なりわい)となってしまった以上、簡単に解決して貰ってはメシの食い上げとなりむしろ困る。だから問題は長引くのである。

日本は、弱者や被害者であることを言い立てて国のお金(他人の税金ですね)を当てにする連中ばっかりになってしまった。政府やお役人も国のお金はしょせん他人の税金なので、大盤振る舞い。ニッポンはいよいよ落ち目。

7/10 Today ハドリアヌス帝が死ぬ(AD138)

ハドリアヌス - Wikipedia: "プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌス(古典ラテン語:Publius Aelius Trajanus Hadrianus(プーブリウス・アエリウス・トライヤーヌス・ハドリアーヌス)、76年1月24日 - 138年7月10日)はローマ帝国の第14代皇帝(在位:117年 - 138年)。五賢帝の3人目。帝国各地をあまねく視察して帝国の現状把握に努める一方、トラヤヌス帝による帝国拡大路線を放棄し、現実的判断に基づく国境安定化路線へと転換した。"
コストばかり掛かってリターンをもたらさない領土は「負債」にしか過ぎないことをよく認識していた。しかしダキア(ルーマニア)から撤退しようとしたときは、ウヨ的ムードに舞い上がったローマ市民がこぞって反対し、挫折してしまう。ハドリアヌスは失意のうちに死ぬ。

北方領土だって同じようなもんじゃないか。経済的価値といえば、いささかの漁業資源だけ。周辺の漁協はすこしは儲かるかも知れないが、国民経済的にはゼロに等しい。北方領土問題はメシの種という連中が多くなってしまった。こんな問題を抱えてしまったおかげで日露両国関係に多大なマイナスのコストをもたらしている。ハドリアヌス帝だったら躊躇なく島を放棄したはずだ。

2009年7月9日木曜日

「農業は楽しくてしかたがない」(山下惣一)……そりゃそうだわな、そのコストはおいら都市住民が払っているから

今晩の日経夕刊で「農民作家」だとか言う山下惣一が、「ようやくニッポンで農業がみんなに理解されてきた」と、はなばなしく勝利宣言。農業ほど楽して儲かる都合のいい商売はないそうだ。そのコストはおいら都市住民が払っていると言うことを全く無視して自分の都合だけで組み立てたエゴイスティックな利権集団論理まるだしの理屈。いい気なもんだ。あんたら農民とやらを満足させるためにだけ日本の都市住民は多大な余分のお金を払わされ、その結果、あんたらは幸せで豊かになったかも知れないが、都市住民はいよいよ不仕合わせになり困窮化してしまったのである。この「農民作家」山下惣一とやらは、かれが展開する屁理屈が「ノーミン栄えてニッポンが滅ぶ」ということを如実に物語っているという意味で、まことに時代の真実を捉えている作家だ。

この人はこんなことを一貫して強弁してきたらしい。コメントト欄に寄せられた情報(Junさん)によれば;
Blogger: Letter from Yochomachi - コメントを投稿: "100の屁理屈が読みたくなったら、お勧めは「ザマミロ!農は永遠なりだ」(農民作家・山下惣一著)ですな。データとかは用いず、ただひたすらWTOはつぶせとか、フードマイレージを減らせ地産地消が一番いいとか、直販所は農家がおすそ分けのやさしさでお前ら消費者にめぐんでやってるんだとか、そんなお話。散人さんのような人が日本に増えるなら、彼ら農民はいよいよ独立するそうですよ。そうなったら困るのは我々馬鹿な消費者だそうな。

内容(「BOOK」データベースより)

この国と国民に農業を守る意思がないのなら、百姓は独立するぞ!愉快、痛快、爽快、百姓のいいたい放題。"


こういう輩は「早く独立」して欲しいな。こんなやつらを食わせるのには、もう飽き飽きしているから。あいつら、自分の食い扶持ぐらいは自分で稼いで欲しい。

7/9 Today 森鷗外が「石見人森林太郎トシテ」死ぬ(1922)

森鷗外 - Wikipedia: "森 鷗外(もり おうがい、文久2年1月19日(1862年2月17日)- 大正11年(1922年)7月9日)は、明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、戯曲家、陸軍軍医、官僚(高等官一等)。陸軍軍医総監(中将相当)・正四位・勲二等・功三級・医学博士・文学博士。第一次世界大戦以降、夏目漱石と並ぶ文豪と称されている。本名、林太郎(りんたろう)。石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京帝国大学医学部 卒業。"


藩医の嫡男として、幼い頃から論語や孟子やオランダ語などを学び、藩校の養老館では四書五経を復読。当時の記録から、9歳で15歳相当の学力と推測されており、激動の明治維新に家族と周囲から将来を期待されることになった。1872年(明治5年)、廃藩置県等をきっかけに10歳で父と上京し、官立医学校(ドイツ人教官がドイツ語で講義)への入学に備え、ドイツ語を習得するため、1872年10月に私塾の進文学社に入った。ドイツ人学者にドイツ語で反論して打ち負かすほど、語学に堪能であった。著作でドイツ語やフランス語などを多用しており、また中国古典からの引用も少なくない。なお、西洋語学を習得する秘訣として、作品内で語源を学習に役立てる逸話を記した。

鷗外の天才の秘密は四書五経にあることが分かる。思考方法の確立とは抽象的言語体系の修得に他ならないから(たとえ母国語であれ)外国語として言語を習得するほうが理にかなっているのである。「感じたまま自分の言葉で」なぞと言っているようでは「国語」は修得できない。語源が分かれば術語は分かるというのも卓見。

明治社会で一大出世をした鷗外だったが、死に際しては次のような遺言を残している:
7/9 Today 森鴎外没(1922)……「死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ」: "余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所君ナリココニ死ニ臨ンデ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ奈何ナル官権威力ト雖、此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス、余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス、宮内省陸軍皆縁故アレトモ生死別ル、瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス、森林太郎トシテ死セントス、墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス、書ハ中村不折ニ委託シ宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ手続ハソレゾレアルベシコレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス

大正11年7月6日

森 林 太 郎 言
賀 古 鶴 所 書"

根っからの個人主義者であった。

2009年7月8日水曜日

「The Big Issue」を買った……これこそ人道問題の直接的で一番効果的な解決方法

曙橋の地下鉄の前で「The Big Issue」を売っているホームレスの人がいた。さっそく買いました。このシステムには、心底共感する。

この雑誌(The Big Issue)とはホームレスの人たちの自立を助けるための「企業組織」であり、月に二回真面目な内容の雑誌を発行し、ホームレスの人たちを通じて販売している。販売価格は一部300円。そのうち160円が雑誌を販売するホームレス個人に手数料として支払われる。一日30部でも売れればちゃんと自分が稼いだお金で最低限の生活が出来るのだ。雑誌には広告なんかなく、内容もしっかりしている。印刷もいい仕上がり。これはお買い得だし、何よりも自分が払ったお金の行き先をちゃんと自分で把握できるところがいい。エライNPOなんかに寄付しても冷房が効いた事務所経費や終身雇用的人件費に消えてしまうお金がほとんどであることを考えれば、抜群に効率のいい人道支援のやり方である。ホームレスの人たちも物乞いや説教臭いことを聞かされる代償としてお金を貰うのではなく自分でちゃんとお金を稼いだという満足感を感じることが出来る。

国際協力の在り方も、基本的にはこういった考え方をもっと取り入れるべきである。現在のやり方はあまりに官僚的で「慈善的」。協力組織のエライ人たちに仕事を与えること(メシの種を提供すること)に偏りすぎてはいないか。古来から、貧しい地域を豊かにして富の平準化をもたらすものは「商業」であった。アフガニスタンの貧しい人たちもインドとか中国とかのグローバル交易が実現できれば一挙に豊かになる。タリバンもお呼びじゃなくなるのだ。

こういう民間ベースの交易が実現できない理由はなにか。商売を取り巻くリスクがあまりにも高すぎるからである。その意味で国際的規模の「貿易保険」制度の充実が、何にも増して最貧国の所得水準のかさ上げと国際平和に貢献する。あまりにも当たり前の事実であるが、同時にあまりにも無視されてきた現実である。今夜の「クローズアップ現代」は、とても立派なゲストを呼んでの国際協力問題がテーマであったが、国際協力を組織的・官僚的な仕事として捉え、自己満足の手段としていては、なにも前に進まないのである。

閑話休題。The Big Issue に浜矩子が寄稿していた。彼女は怖そうなので好きじゃないのだが、こういう雑誌に(ほとんど報酬なしで)寄稿しているとは知らなかった。見直した。

7/8 Today 吉行エイスケが死ぬ(1940)

吉行エイスケ - Wikipedia: "吉行エイスケ(よしゆきエイスケ、本名:栄助、1906年5月10日 - 1940年7月8日)は、日本のダダイスト詩人、小説家。1933年には断筆し、1940年に狭心症のため急死した。34歳の若さだった。

死後の本棚には、文学関連の書籍はただの2冊しかなく、残りは全て株に関するものであった。急死する頃には、身上をほとんど食いつぶし生活資金は妻に頼っており、家屋敷は二重に抵当に入っていたように、株式には才覚がなかった。

美容師の吉行あぐりは妻。小説家の吉行淳之介は長男。女優の吉行和子は長女。詩人の吉行理恵は次女。"
オヤジはいい加減で才能もなく、どうしようもなかったが、奥さんと息子と娘たちはとてもエライ人たちだったという、よくある話。

特に奥さまの吉行あぐりさんは、100歳を超えてまだご健在だとのこと。最近まで市ヶ谷駅前の横浜銀行ビルの一階で美容室をやっておられた。吉行淳之介は父親似か(写真を見ても似ている)早く死んでしまったが、吉行和子は年季の入った演技で大活躍中。オンナのほうがオトコより長持ちするようだ。

2009年7月7日火曜日

7/7 Today コナン・ドイルが死ぬ(1930)

アーサー・コナン・ドイル - Wikipedia: "アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle KBE、本名:Arthur Ignatius Conan Doyle、1859年5月22日 - 1930年7月7日)はイギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、推理小説や歴史小説を多く著したほか、SFや戯作など、多岐にわたる活躍を示した。"
コナン・ドイルは、晩年心霊術に凝ったりしてかっこ悪かったが、シャーロック・ホームズを生み出したということだけで歴史に残る偉大な作家となった。写真は「踊る人形」の挿絵。

このサイトで、シャーロック・ホームズが全部、挿絵付きで読める:

Camden House: The Complete Sherlock Holmes (Main)

2009年7月6日月曜日

日経ビジネス:農協直販所では人為的に販売価格をつり上げている!……これって独占禁止法違反じゃないか?

この農協の直販所では市場価格の2〜3割アップで強引に商品を販売しているという:
割高でも客の絶えない農産物直売所:日経ビジネスオンライン: "高い価格の維持と品質の良い農産物の供給──。この2つを両立させているのが、みずほの村市場を運営する農業法人のみずほが設けた独自のルールだ。

そのルールとは、「後から参入する農家は、先に参入していた農家と同じか、それ以上の価格をつけなければならない」というものだ。

例えば、ダイコンを最初の参入者が1キログラム100円で売っていたとしよう。次に参入する人は100円以上の価格を、3番目の参入者は2番目の人以上の価格をつけなければならない。"
市場参加者の値決めを拘束しているという意味で、明らかに公正取引法に違反している。その結果、消費者は余分のお金を農協にぶったくられている。でも公正取引委員会と検察は動けない。なぜか?

農協は「協同組合」だから独占禁止法の規制の対象外となるからである。だからあいつらはやりたい放題なのだ。農協の全国組織はニッポンの食糧供給において圧倒的な占有力を持っていることを考えると、協同組合なら独禁法の規制を受けないという現行法は、時代遅れというしか言いようがない。

可哀想なのは都市住民。なけなしの蓄えを生涯に渡って農協にむしり取られることになる。

7/6 Today モーパッサンが死ぬ(1893)

ギ・ド・モーパッサン - Wikipedia: "ギ・ド・モーパッサン(アンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(Henri René Albert Guy de Maupassant)、1850年8月5日 - 1893年7月6日)は、フランスの自然主義の作家、劇作家、詩人。『女の一生』などの長編6篇、『脂肪の塊』などの短篇約260篇、ほかを遺した。20世紀初期の日本の作家にも、影響を与えた。"
永井荷風も、パリに到着するや否や、モンソー公園のモーパッサン像(写真)に「参拝」している。荷風の短編にはモーパッサンの影響とみられる作品が多い(「勲章」「買い出し」など)。社会に対するシニカルな見方に共通するものがあった。

彼の生活:
1883年、33歳のときの『女の一生』は、レフ・トルストイにも評価され、3万部を売り上げた。エトルタに別荘を構えた。1885年、南仏アンティーブに別荘を買った。1886年、ヨットを持った。活発な執筆出版活動のかたわら、旅を重ねた。海浜に育って、水の遊びを好いた。婦人との交友はあったが、結婚はしなかった。目はますます悪くなった。

1888年、38歳、不眠が募った。変人ぶりが目立ってきた。1889年、麻酔薬を乱用した。この年のパリ万博に建ったエッフェル塔を嫌い、眺めずに済むからと、塔のレストランで食事した。1891年、発狂が疑えなくなった。1892年、自殺未遂を起こし、パリ16区パッシー(Passy)の精神病院に収容された。

1893年、43歳、その病院で没し、モンパルナス墓地に葬られた。

モーパッサンもヨットを持っていたのだ。当時からヨーロッパではちょっと余裕が出来ると海辺に別荘とヨットを持つ人が多かった。日本の海岸線は世界でも有数の長さがあるのに(世界5位?)、いまだにセーリングは少数派の遊び。最近は若者離れがひどくますます高齢化が進んでいる。バラマキ公共事業のおかげで日本の海岸線はコンクリート堤防と岸壁ばかりになってしまったからである。

そのコンクリートだらけの日本で、一番「自然」が残っているのは、海の上。だれからも干渉されない。セーリングはもっと見直されてもいいんじゃないか。おいらのセーリングブログはここ。面白いよ。

2009年7月5日日曜日

Le Monde : 「エコロジーなんて、糞喰らえ!」

Merde à l'écologie ! - Opinions - Le Monde.fr
これはとても共感を覚える記事。エコロ真っ盛りのニッポンは、50年遅れているんじゃないか。エコロは、十字軍と同じでまったく狂信的な宗教理念だ。それに疑問を投げかけると、それだけで怒り出す。複雑な問題に単純極まりない解決方法を提示し、その解決方法に異論を唱えるものは軒並み火炙りにしようとする。異論を全く受け入れないのだ。ナチとかイタリアファシズムも全く同じだった。「スローフード」とやらは近代文明に劣等感を抱くファシストがつくり出した運動であったことが興味深い。ニッポンのエコロも、しょせんファシストか。

農村既得権益集団に利用されてしまったおかげで、ニッポンのエコロとやらは「内向きナショナリズム」の一つの表現形態に過ぎないものに堕落している。嘆かわしいことである。

残っているうちに記事全文をコピーしておく:

Merde à l'écologie !
LE MONDE | 04.07.09 | 14h18 • Mis à jour le 04.07.09 | 14h18

Jsqu'à maintenant, il faut bien le reconnaître, l'écologie, je m'en foutais complètement. La fonte des glaces, les oursons qui se noient, la couche d'ozone poinçonnée de partout, l'avenir de mes petits-enfants irradiés et la nourriture pesticidée... Sincèrement, je dormais bien avec.

J'avais bien essayé de prendre conscience de ma responsabilité d'être humain, mais en réalité, ma responsabilité d'être humain, j'avais plutôt envie de lui dire d'aller se faire fondre, comme sa soeur, la banquise.

Tout cela ne faisait de mal à personne, puis l'écologie nouvelle est arrivée, pas celle des marguerites et du foin, l'écologie majuscule, la sérieuse, la consciente de..., la responsable de..., celle qui pèse en politique, celle sans qui l'apocalypse serait pour demain matin.

Je suis resté sur mes positions, je me suis rapproché des zones industrielles, j'ai mangé du maïs muté, j'ai aérosolé ma maison, mais j'ai bien senti que je n'étais plus aussi libre de mon inconséquence, l'écologie, on avait plus le droit de s'en foutre. On a d'ailleurs plus droit de se foutre de rien.

Pourquoi ? Parce que la morale.

Pris entre les mâchoires du bien et du mal, le destin de l'inconséquent est d'être mastiqué. L'écologie l'a bien compris, la morale est une arme de construction massive. Après des années de présence virtuelle, et prenant exemple sur de glorieuses réussites antiques, elle se désigne désormais comme l'incarnation du bien commun (le bien commun se définissant comme le bien que l'individu ressent mal). Incarner le bien commun impose des concessions à la tolérance et un détour obligatoire par les chemins de la culpabilité.

Morale et culpabilité partagent siamoisement leur espace.

Le culpabilisateur laïque est la grande figure du monde contemporain. Par un étrange glissement, l'intolérance a quitté sa soutane. Après des siècles de dévalorisation orchestrée par saint Augustin et ses disciples, autour du péché originel qui fit de nous des êtres de faute, nous révélant que le geste le plus anodin, comme croquer une golden dans un jardin, pouvait entraîner une catastrophe collective éternelle, la culpabilité est sortie des églises.

Le monde laïque, qui depuis la révolution a forgé son identité dans la lutte contre le satan religieux, a récupéré son arme la plus nocive. La faute individuelle engage le reste du monde.

Observons l'évolution de la lutte antitabac. Quel a été l'argument fondamental qui a réglé le destin de nos frères fumeurs martyrisés ? Le tabagisme passif. Le fumeur tue. L'homme au clopeau constitue un danger pour autrui, passant passif inhalateur de volutes. C'est la révélation de la responsabilité collective du futur cancéreux qui a eu la peau de son filtre.

L'écologie applique le même système de culpabilisation de l'individu que l'on retrouve partout dans notre société, une vraie pandémie d'hyper-responsabilisation qui écrase l'homme aspirant à l'humilité de n'être toxique que pour lui-même.

On le sait, la morale est l'impôt perçu par la collectivité sur la liberté de l'individu. Lorsqu'elle nous force à respecter les Dix Commandements, ça va. Je ne suis pas pour le massacre de mon prochain et le respect du père et de la mère me paraît recevable, depuis que j'ai des enfants. Mais Dieu a-t-il écrit sur les tables de l'Arche d'alliance "Tu ne pollueras point ta planète" ? Non. Donc, pas de zèle.

La laïcité se fondamentalise, autour de thèmes qui sont devenus aussi sacrés que les reliques rapportées des croisades : la nature, la santé... Elle a ses adorateurs, elle a ses hérétiques. Son bras séculier s'abat lourdement sur le quotidien de ceux qui n'aspirent qu'à respirer un air qu'elle n'aura pas purifié. Elle a trouvé dans l'écologie son armée d'inquisiteurs, pas plus rassurants que les premiers.

Les avez-vous bien regardés, ces protecteurs de notre avenir qui prolifèrent autour de nous comme des mousses, ces flics sans uniforme qui radarisent notre liberté ?

Ils pensent que le quidam est aussi dangereux qu'une usine nucléaire. C'est sur lui que tous les efforts doivent porter par une rééducation purifiante. Ce ne sont pas seulement des soixante-huitenaires prêcheurs, mais des jeunes gens concernés, énergiques, des bons petits qui pour nous sauver sont prêts à nous pourrir la vie avec une motivation éternellement renouvelée. Ils ne font pas peur, ils sont séduisants pour la plupart, rarement gros, rarement barbus, rarement de droite. Ce sont des braves gens.

Ils ont presque toutes les qualités, il leur en manque une, toujours, l'humour. Un écologiste avec humour intégré n'en est pas un. Le sourire trahit le transfuge. L'écologiste drôle s'occupe de son propre développement durable et pas de celui de la planète. Voir les dernières élections européennes.

Moi, ils m'attristent ces concernés par le futur. Ils croient dur comme fer que la pollution est leur ennemie. Verts de trouille, les écolos, et engagés à coeur battant pour la protection de la nature. Comme si nous la menacions, la nature. J'ai lu qu'à Tchernobyl, poussaient des champignons noirs qui transformaient les radiations en substance organique, qu'une requine blanche, dans un zoo, célibataire depuis trois ans avait accouché d'un bébé requin sans père.

Un clone spontané. La faible nature. La fragile, qui nous a attendus cinq milliards d'années pour rendre son dernier soupir. Elle doit bien rire de notre minuscule toxicité, la vieille infectée, immunisée à mort, par ses anticorps anti-humains.

J'ai toujours pensé que c'était la nature qui nous polluait, pas l'inverse. Elle aura notre peau, l'ingénue. D'ailleurs, elle a commencé, la pollution la plus menaçante pour l'atmosphère terrestre est la plus naturelle de toutes, les flatulences méthanisées de nos soeurs bovines.

Voilà. En tant que citoyen irresponsable, je sais que mon avenir est sans lendemain. Coupable de sérénité. J'inhale à plein poumon les gaz de ma planète. Au bout du compte, il se pourrait que l'air pollué soit le dernier air respirable.

Ecrivain, médecin spécialisé en neurologie et licencié d'histoire à la Sorbonne, est l'auteur de deux romans aux éditions Grasset : "Blouse" (2004), "La Grande Garde" (2007), et d'un essai aux éditions du Regard "Maître Eckhart peint par Van Eyck". Il a publié en 2008 "L'Ami de jeunesse", roman qui met en scène la renaissance à la vie d'un psychiatre prénommé Antoine

Antoine Senanque


最近内田樹が同じようなことを書いていた。これ:

エネルギー政策について (内田樹の研究室): "環境問題は女子学生の好む主題であるが、私はあまり好まない。

理由の一つは「複雑な問題に対して単純なソリューションを対置する」態度が広く採用されているからであり、理由の第二はそう指摘するとすぐに怒り出す人が広く分布しているからである。

そういう種類の人間がダマになっている論件に近づいても、あまりいいことがないので、敬して近づかないのである。"

近づかなくていいものに敢えて近づくから、おいらみたいな人間はたいへんな目にあってしまうのである。でも、敢えて言う人がいないと、ニッポンはますますダメになってしまうから、云わざるを得ない。

7/5 Today ビキニ水着の発表(1946)

ビキニ (水着) - Wikipedia: "1946年にフランスのルイ・レアール(Louis Reard、「ルイ・リード」「ルイ・レアード」とも)が考案。レアールは自動車エンジニアだったが、母親が下着会社を経営しており、その手伝いをしているときにビキニを考案した。

1946年マーシャル諸島のビキニ環礁で米国によって、第二次世界大戦後初の原爆実験が行われた。その報道の直後の1946年7月5日にレアールがその大胆さが周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえ、ビキニと命名してこの水着を発表したと言われる。"

写真はローマ時代のビキニ水着。フランス人に先駆けること実に1500年。ローマ人は進んでいたのである。

2009年7月4日土曜日

7/4 Today アストル・ピアソラが死ぬ(1992)

アストル・ピアソラ - Wikipedia: "アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla, 1921年3月11日 - 1992年7月4日)はアルゼンチンの作曲家、バンドネオン演奏家。タンゴを元にクラシック、ジャズの要素を融合させた独自の演奏形態を産み出した。"
タンゴもボサノバもすっかり陳腐化してしまいニッポン以外ではすっかり落ち目だが、ピアソラはタンゴに新しい風を吹き込んだ。

Youtube から一曲:



最近の日本では、やたらに「伝統芸能」がもてはやされているが(「故郷町おこし」と関係があるらしい)、あまり「伝統」とやらにとらわれていては文化はさらに退嬰するように思う。

2009年7月3日金曜日

株式リターンの要因分解

昨日の日経「経済教室」でインポットソン・アソシエイツ・ジャパン社長の山口勝業氏が興味深い分析を披露されている。この数字には説得力がある。

論より証拠:



過去25年間、株式についての従来の常識は完全に崩壊してしまったのである。それなのにいまだに従来の神話で物事を語る人が多いのが問題だな。

7/3 Today アンドレ・シトロエンが死ぬ(1935)

アンドレ・シトロエン - Wikipedia: "アンドレ=ギュスターヴ・シトロエン(André-Gustave Citroën, 1878年2月5日 - 1935年7月3日)は、オランダ系フランス人の実業家。フランスの自動車会社、シトロエンの創業者である。第一次世界大戦中は砲弾をはじめとする武器を流れ作業方式で大量生産したことで成功、その利益で1919年にシトロエン自動車会社を設立する。同社は大衆車の大量生産で急激に業績を伸ばし、1930年代の初期にはフランス第1位、世界第4位の自動車会社になるほどの成功を収めた。

しかし、シトロエン社は急激な事業拡張が祟って1934年に経営破綻に陥り、タイヤメーカーのミシュランの資本を受けることになる。経営から退いたアンドレ・シトロエンは、失意のうちに翌1935年、胃癌で死去した。57歳没。"


フランスの自動車メーカーは武器製造会社から転進したのが多い。骨董市で見つけた昔の砲弾の薬莢を花瓶と使っているがプジョーの刻印がある。プジョーはもともと胡椒ミルのメーカー(これはいまでも作っている)。すべてのものにはライフサイクルがあるのだ。流行すたりがあるし、残存者利益もある。

2009年7月2日木曜日

7/2 Today ヘミングウエイが死ぬ(1961)

アーネスト・ヘミングウェイ - Wikipedia: "アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway, 1899年7月21日 - 1961年7月2日)は、アメリカの小説家・詩人。『老人と海』などで知られる。行動派の作家で、スペイン内戦や第一次世界大戦にも積極的に関わり、その経験を元に行動的な主人公をおいた小説をものにした。『誰がために鐘は鳴る』『武器よさらば』などはそうした経験の賜物。短編には簡潔文体の作品が多く、これらはダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーと後に続くハードボイルド文学の原点とされている。1954年、ノーベル文学賞を受賞。晩年は躁鬱に悩まされるようになり、執筆活動も次第に滞りがちになっていき、1961年、ライフルで自裁した。"

合掌。

『老人と海』で妙に気になるところがあった。老漁師は何日も飲まず食わずでカジキマグロと戦うのだが、船に食べ物がなかったわけではない。餌に使う生のカツオがあったのだ。でも老漁師は生ではカツオを食えない。無理して咀嚼すれば吐いてしまい体力を更に消耗するのが分かっているから食わない。「せめてレモンがあれば呑み込めるのだが……」と嘆くくだり。

いまやスシは世界に広がっている。でも魚の生食は広く一般的になったわけでもない。しょせん一部のスノブが嬉しがって食っているだけ。一般の人々の感覚はまだまだこの老漁師と同じようなもの。

日本のアニメ文化も同じ。いまはニッポンのアニメは世界に普遍的なものと、一部の現象だけを捉えてへんな自己満足をしていると、足を掬われることになる。

2009年7月1日水曜日

7/1 Today エリック・サティが死ぬ(1925)

エリック・サティ - Wikipedia: "エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Erik Satie, Eric Alfred Leslie Satie, 1866年5月17日 - 1925年7月1日)は、フランスの作曲家。「音楽界の異端児」、「音楽界の変わり者」などと称されるが、西洋音楽の伝統に大きな扉を開いた革新者とみなされている。

多くの西洋音楽史の進化は、その兆候が徐々にやってくるのに対し、サティがやり始めた数多くの革新は、過去の音楽や、他の民族音楽などの中に全くないものではなかったものの、その殆どが純粋に彼独自の自発的で突発的なアイデアに基づいたものであり、現代音楽の祖として評価は高い。ただ、あまりにもその実際の傾向が特異すぎたことと、複雑さを追求するような職人技よりもシンプルさを追求したものであったために、その真価が正統に広く理解されていない不遇な作曲家として旧来から惜しまれ続けている偉人であるが、数多くの作曲家たちがサティによる開眼を公言している。"

追悼のために You Tube から『ジムノペディ』第一番を:


2009年6月30日火曜日

「日本はすでにアホロートルが多数派となる悪夢のSF社会に足を突っ込んでいる」(鹿島茂)

おやおや鹿島茂先生、ニッポンについてとてつもない悲観主義に陥っている(日経「プロムナード」)。分からんこともない。メモ:

これまでのアホロートルにかかわる記事はこれ。その上で鹿島茂はこういう:
  1. アホロートルが多数派になった社会というのは、やはり悪夢のSF社会だ。
  2. アホロートルは子供だから、我慢や自制心を知らない。「気にくわないやつはぶっ殺せ!」ということになる。
  3. アホロートルは面倒くさいことが嫌い。つまり労働がきらい。親の存命中は引きこもり、親が死んだらホームレス。
  4. アホロートルは子供だから、異性との関わりが何よりも恐ろしい。当然人口は減少する。
  5. 日本をかつてのような大人の世界に戻すことが出来るか。残念ながら不可能。日本の経済構造がアホロートルの消費に依存するような構造になってしまっているから。お父さんお母さんが子供のためを思って一生懸命働けば働くほど子供たちのアホロートル化は加速してしまうのである。
  6. つまりアホロートルの増殖は国民の総意による。

最後の二つのくだりが特に印象的。最近のニッポン社会は未熟なアホに媚びる傾向が強すぎる。それが問題なのである。

6/30 Today 小倉昌男氏が死ぬ(2005)

小倉昌男 - Wikipedia: "小倉 昌男(おぐら まさお、1924年12月13日 - 2005年6月30日)は、日本の実業家。東京都出身。ヤマト運輸の『クロネコヤマトの宅急便』の生みの親である。宅配便の規制緩和を巡り、ヤマト運輸が旧運輸省(現・国土交通省)、旧郵政省(現・日本郵政グループ)と対立した際、企業のトップとして先頭に立ち、官僚を相手に時には過激なまでの意見交換をした。"
既得権集団と真っ向から戦った立派な日本の経営者であった。合掌。

おかげで人々の生活はとても便利になり、宅急便を利用した多くの新しいビジネスが出現し、日本は豊かになった。

それに対して、いまの薬事法改正のザマはなんだ。既得権集団は大笑いしている。

2009年6月29日月曜日

6/29 Today キャサリン・ヘップバーンが死んだ(2003)

キャサリン・ヘプバーン - Wikipedia: "キャサリン・ホートン・ヘプバーン(Katharine Houghton Hepburn、1907年5月12日 - 2003年6月29日)は、アメリカ合衆国の女優。ハリウッド映画史上最も特筆すべき女優の一人である。2009年現在、オスカーを4回受賞したただ一人の俳優。2003年に老衰で死亡。96歳。"

合掌

「黄昏」(1981)の時は74歳。湖に飛び込むシーンなどもあったがしゃくしゃくたるものだった。美人は歳をとっても美人である。


2009年6月28日日曜日

6/28 Today お芙美さんが死んだ日(1951)

林芙美子は、とても頑張った人。日本人の原点でもある:
林芙美子 - Wikipedia: "林 芙美子(はやし ふみこ、本名:フミ子、1903年12月31日 - 1951年6月28日)は、日本の小説家。上京前のペンネームに秋沼陽子(あきぬま ようこ)がある。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の名句で知られる昭和初期の流行作家。自らの貧困に苦しんだ生い立ち、流浪の経験などを基にした、生々しい実感を伴う表現や人物描写が特徴。"


おいらも追悼の意を表したことがある:
6/28 Today 芙美子忌……いま再び林芙美子が新しい

中井の豪邸の頻繁に出入りする訪問客には鮨を注文するが、小皿に残った醤油は絶対に捨てさせなかったという(女中の証言)。これぞ元祖エコロ。モッタイナイ精神である。

ニッポンのエコロも林芙美子に見習って、環境とやらで食っている既得権集団を儲けさせるだけのための無駄遣いはいい加減にやめたらどうかな。これこそ地球環境の保全につながる。ノーソン商業主義に踊らされるいまのエコロは、あまりにもナイーブ。

2009年6月25日木曜日

6/25 Today テレマンが死ぬ(1767)

ゲオルク・フィリップ・テレマン - Wikipedia: "ゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann, 1681年3月14日-1767年6月25日)は、後期バロック音楽を代表するドイツの作曲家である。生前は同時代の作曲家であったバッハやヘンデルより、人気と名声のあった作曲家とされる。"
へ〜、当時はバッハやヘンデルより人気があったんだ。なぜか?

オペラ、コンサート、教会音楽や出版を行い、高い名声を得た。テレマンは、裕福な市民層を相手に作品の予約販売という方法で成功を収めたほか、隔週の市民向け音楽雑誌「忠実な楽長」を刊行、毎号、新作楽譜を掲載し、必ず、続きは後の号に載せることで継続して買ってもらうという新手の商法を生み出すという商売上手であった。

1722年、ライプツィヒの聖トマス教会の楽長が亡くなった時、ライプツィヒ市はまずテレマンを招聘しようとしたが断られたため、仕方なく知名度の低かったバッハを招聘したというエピソードからも、当時のテレマンがバッハより人気が高かったことがわかる。

「食卓の音楽」。宮廷の宴席で好んで演奏された室内楽を集めたもの。三つの曲集からなり、各々の曲集に、管弦楽組曲、コンチェルト、四重奏曲、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタといった異なった器楽合奏曲が含まれ、「バロック音楽の百科全書」とも呼ばれている。この作品を販売するに当たっては、特別価格での提供と予約者を当作品集の冒頭に記載すると広告したところ、ドイツ国内、海を越えてイギリスからヘンデル氏が、フランスやロシア・スウェーデンからも予約注文があったという。

いろいろビジネスモデルを創意工夫した人らしい。当時の芸術家は座っておれば売れるという殿様商売でなかったところが面白い。そればっかりになっても困るけれど、殿様商売が制度化すると国は衰退してしまう。

2009年6月24日水曜日

「一億、総アホロートル社会が出現しつつある」(鹿島茂)

「アホロートル」と聞いててっきり「阿呆老人」のことだと思ったが、そういう生物がいるらしい(アホロートル)。鹿島茂による3回連続日経「プロムナード」(初回2回目はこのリンク)での若者論の完結編。例によってメモしておく:

抜き書き:
  1. 1975年頃からの若者が知的な家庭に入ることを拒否し、遠方指向性を失うようになったが、それは同時に成熟することの拒否でもあった。オカク化とはそういう過程。しかしバブル崩壊前まではオタクはまだ少数派であった。
  2. 社会に子供を一気に大人社会に組み入れる通過儀礼(イニシエーション)が存在していたからだ。入社試験と新人研究制度である。それは戦前の兵役制度に等しかった。
  3. ところがバブル崩壊とそれに続く不況によって、会社のこの機能が徐々に失われていった。会社は「成人教育機関」としての役割を放棄する以外に生き延びる道はなかったのである。
  4. 一概に企業を責めることは出来ない。責められるべきは、戦後、通過儀礼の役割を会社に押しつけてきた歴代の政府だ。
  5. バブル崩壊後、会社が通過儀礼の役割を放棄したことで、この大切な役割を演じるものがだれもいなくなってしまった。
  6. いまの日本人は、幼形成熟する両生類アホロートルに似ている。「一億、総アホロートル」の社会が出現しつつあるのだ。

オタクたちにはもちろん、いわゆるニッポンイストにもこういう話は耳障りなようだ。でも、問題の原因を正しく認識することが、その解決策を検討する作業に起点となる。その問題の中にどっぷり使っている人より、傍目八目の視点をもてる人の方が本質を適確に見えることが多い。フランス文学者なればこそ見えてきた構図である。石原慎太郎は嫌いな仏文学者を軒並み焚書坑儒して以来、とんちんかんが増えた。

6/24 Today 壬申の乱始まる (672)……今日はやっぱりこれ(再掲)

壬申の乱 - Wikipedia: "大海人皇子は天武天皇元年6月24日(7月27日)に吉野を出立し伊賀、伊勢国を経由して美濃に逃れる。"

天智天皇の譲位の申し出を陰謀と見抜き吉野に逃れた大海人皇子はこの日ついに挙兵を決意する。皇子に続くものは妃の讃良皇女(後の持統天皇)ほか腹心の部下わずか20数名。夜闇に紛れ一行は伊勢にたどり着き、いよいよ軍勢を整えて滋賀へと攻め上る。古代最大の内乱である壬申の乱はこうしてはじまった。

壬申の乱ほど面白い物語はないですよ。日本史で一番面白いとも言える。肉親同士の確執あり、純愛物語あり、陰謀あり、裏切りあり、不倫あり、大戦争あり、手に汗握る大逆転あり、何でもありなのである。映画とかテレビにすればこれほど面白いものはないと思うのだが、不思議なことに今までこれが映画化されたことはない。天皇家の内輪もめを娯楽映画にするのは恐れ多いという遠慮からだろう。シェイクスピアがイギリス王室を題材に多くの名作を残したのとは対照的。日本にシェイクスピアは出ないのか。

大海人皇子(天武天皇)は恋人の額田王を兄の天智天皇に横取りされ、それを恨んでの反乱との説がある。当時もう既に額田王は40を越していたのでこれは俗説であるとの見方が主流だが、散人としてはこの説がロマンティックで好きだ。あくまでもお話しとして楽しめればそれでいい。

 天皇(天智)蒲生野に狩猟せられしとき額田王よめる歌
(註;詠んだ相手はもちろん昔の恋人大海人皇子)
あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる

 大海人皇子答ふる御歌
紫のにほへる妹をにくくあらば人妻ゆえにわれ恋めやも
(註:人妻というのは額田王が天智天皇のものであったことをさす。亭主の前でなんたる大胆さ)

万葉集の中でも散人が一番愛して措かない一節です。

(余談)古代の反乱では、いったん東に逃れてそこで兵を集め都に攻め上るというのが一般的なパターン。だから反乱となると東国への連絡線を遮断するため真っ先に関所が封鎖された。中世になって源頼朝は同じパターンを踏襲。流人の頼朝はいったん三浦半島から房総に逃れ、北回りで現在の千葉と東京あたりを移動しながら兵を集め、今度は一挙に南進し鎌倉に攻め上った。腕っ節の強い東国の武士(まあ農民だね)を味方に付けることが出来るかどうかが反乱が成功するかどうかの鍵を握っていたのである。平成の世も基本的にはこんな構図で世の中は動いている。都市住民の声は力で無視されるのだ。こういう古代的なやり方からそろそろ卒業したいね。


(初出:2003.6.24)

さて、現代ニッポンでも兵乱の動き。泣いても笑っても今年は衆院選挙なのだ。壬申の乱の展開となるか。でも役者不足の感があり、なんだかつまらない。与野党とも腕っ節の強い農民票の獲得しか頭の中にないみたいだから。

2009年6月23日火曜日

6/23 Today プラッシーの戦い(1757)

プラッシーの戦い - Wikipedia: "プラッシーの戦い(ぷらっしーのたたかい)は、1757年、インドベンガル地方のプラッシーで行われた、イギリス東インド会社と、連合軍(ムガル帝国ベンガル太守率いる土侯軍と後援するフランス東インド会社)との間で行われた戦いである。

1757年6月23日、イギリスの軍人クライヴは、東インド会社の軍隊を率いて、フランス勢力と組んだベンガル太守のスィーラジュ・アッダウラとカルカッタの北方プラッシーで交戦した。

クライブの率いたイギリス東インド会社軍は僅かに欧州人兵士950人・セポイ2,100人と9門の砲・100人の砲兵を有していたのみで、これに対してフランス東インド会社と同盟していたベンガル太守のスィーラジュ・アッダウラは16倍(50,000人)もの歩・騎兵力と40人のフランス兵が操作する重砲を含む53門の砲を装備して戦いに臨んでいた。

ベンガル太守軍の兵士達は日頃の訓練不足と、情況の変化に柔軟に対応できないヒンドゥー教徒特有の性質から当日の豪雨の中に火薬樽や銃・砲を放置し、水浸しとなった火薬は着火しなくなってしまった。雨が止んだ14:00頃から反撃を開始したイギリス東インド会社軍に一方的に攻撃されて惨敗した。"

これでイギリスのインド支配は決定的なものとなった。インド側はなぜこの戦いにボロ負けしたのか?

雨のためとか裏切りのためとか説明されるが、決定的だったのはインド側の兵士の個性が強く集団行動をとれなかったのに対し、イギリス側はヨーロッパ式集団隊列訓練を受けていたこと(いまのイランの親衛隊や将軍様の兵隊の行進みたいなもんだね)。日本でも昔の鎌倉武士はばらばらに個性的行動をとった。集団ロボットみたいな隊列行進はヨーロッパの発明なのだ。

集団主義はアジアのお家芸と思われているが、当時は逆だったみたいで面白い。



2009年6月22日月曜日

6/22 Today 高田好胤が死ぬ(1998)

高田好胤 - Wikipedia: "高田好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は法相宗の僧侶。薬師寺127代管主。法相宗管長。金堂、西塔など薬師寺の伽藍を復興し名物管長と呼ばれた。

1949年、副住職に就任すると、修学旅行の生徒達への法話に力を入れた。そのユーモアたっぷりで分かりやすい法話は人気を呼んだ。高田の法話を聞いた生徒は500万人にものぼるという。

1967年、管主に就任すると金堂の再建を志し、ついで西塔、中門、回廊などを次々と再建した。再建費用は大きな課題であった。金堂の再建だけでも約10億円が必要だった。薬師寺には檀家組織がなかった。そこで高田は全国の篤志の人々から一人1000円の写経納経の供養料を集める勧進を行い、これを賄おうと考えた(写経勧進)。一人1000円では100万人の写経が必要であった。高田は全国、800以上の市町村で8000回におよぶ講演をして周った。1976年には念願の100万巻が達成され、同年、金堂が再建された。その後も写経勧進は進み、1997年には600万巻にのぼった。写経勧進は現在も薬師寺の大きな柱の一つとなっている。"

坊さんはおしなべて話が上手だから、聞いていて楽しい。

薬師寺には安定的な収入源となる檀家組織がなかった。これがなかったことが新機軸(写経勧進)に踏み切らせる動機となった。イノベーションも同じで、寝てても食える状況では起こらないのである。

2009年6月21日日曜日

6/21 Today マキャベリが死ぬ(1527)

ニッコロ・マキャヴェッリ - Wikipedia: "ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli, 1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家である。著書に、『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』『戦術論』など。理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治を宗教・道徳から切り離して現実主義的な政治理論を創始した。日本語ではマキャヴェリ、マキャベリ、マキァヴェリ、マキァヴェッリなど様々な表記が見られる。"

彼の理論は「フォルトゥーナ」(伊: fortuna, 運命)と「ヴィルトゥ」(virtù, 技量)という概念を用い、君主にはフォルトゥーナを引き寄せるだけのヴィルトゥが必要であると述べた。『リウィウス論』では古代ローマ史を例にとり偉大な国家を形成するための数々の原則が打ち立てられている。全てにおいて目的と手段の分離を説いていることが著作当時おいて新たな点であった。

この「目的と手段の分離」というのが、いまだにポリティカリーコレクトじゃないらしい。特にニッポンにおいては、大衆レベルの既得権益が社会の隅々にまで蔓延っているので、いかなる「手段」も講じられない状態に陥ることが多い。

土地の私権がこれだけ保護されている国は日本とドイツだけである。いずれも戦勝国が両国を二度と軍事強国にしないために意図的に導入したものである(高坂正堯)。その結果、いかなる高尚な国家目的実現の手段も、戦後の農地解放で出現したニワカ成金ヒャクショウ地主のエゴに合致しないと実現できない仕組みとなってしまったのである。

2009年6月20日土曜日

「しょうもない人(票を持ってない人)は來ないでくれる?」(麻生太郎)

asahi.com(朝日新聞社):首相「しょうもない票のない人、前に来ないで」報道陣に - 政治: "麻生太郎首相は19日夜、東京都議選の応援のため三鷹市の自民党立候補予定者の事務所を訪れた際、報道陣に向かって「しょうもない人はちょっと来ないでくれる。票を持っている(地元の)人だけ前に来て。票を持ってない人が前に来られると」と述べた。"

太郎君、つい本音が出てしまった。

おいら東京都民の一票の重みは、どっかの「しようもない」イナカの有権者の4分の一という軽さ。おいらもお呼びじゃないらしい。

慎太郎、これを見逃したら(聞き流したら)男じゃないぞ!

6/20 Today 徳川吉宗が死ぬ(1751)

德川吉宗 - Wikipedia: "江戸幕府第8代将軍。生誕 貞享元年10月21日(1684年11月17日)死没 寛延4年6月20日(1751年7月12日)

吉宗は紀州藩主としての藩政の経験を活かし、水野忠之を老中に任命して財政再建を始める。定免法や上米令による幕府財政収入の安定化、新田開発の推進、足高の制の制定等の官僚制度改革、そしてその一環ともいえる大岡忠相の登用、また訴訟のスピードアップのため公事方御定書を制定しての司法制度改革、江戸町火消しを設置しての火事対策、悪化した幕府財政の立て直しなどの改革を図り、江戸三大改革のひとつである享保の改革を行った。また、大奥の整備、目安箱の設置による庶民の意見を政治へ反映、小石川養生所を設置しての医療政策、洋書輸入の一部解禁(のちの蘭学興隆の一因となる)といった改革も行う。そして、第4代将軍・徳川家綱時代から続いていた学問を奨励する文治政治を見直し、武芸を奨励する武断政治を志した。一方で年貢を五公五民にする増税政策によって、農民の生活は窮乏し、百姓一揆の頻発を招いたが、江戸幕府の三大改革の中で最も成功したものとして高く評価されている。吉宗の改革が無ければ、江戸幕府の崩壊はもっと早く到来したであろうとする意見も多い。"

妥当な評価でしょう。おかしなところはともかく「改革」する。それをしなければ衰退するだけなのである。

でも、こういう意見もある:
8/2 Today 徳川吉宗、目安箱を設置 (1721)……彼の改革は成功だったのか?: "経済学的に見れば彼の改革は大いに疑問が残るところである。"

書いたのはおいら。しかし、よく考えてみると当時の経済学のレベルはその程度のもの。吉宗はよくやった方だと思うようになった。

2009年6月19日金曜日

エコポイント交換商品リストの公表……またしても都会のナイーブなエコ市民のなけなしのお金はエネルギーをじゃぶじゃぶ浪費するイナカモン既得権集団に山分けされることとなった

まさに憂鬱になったこのニュース:
NHKニュース エコポイント交換 271品目: "省エネ家電を購入した場合に受け取れるエコポイントと交換できる商品が発表され、品目は経済への効果を重視して、デパートや地域の商店街などで使える商品券をはじめ、特産品や旅行券など、あわせて271件に上っています。"

なんでJRの切符や高速道路が対象になるのだ。この非常時、やたらに移動しないことこそエコだろうが。国産農産品や水産物が対象になったのも解せない。石油エネルギーを一番じゃぶじゃぶ浪費するのがこの種の産業だからだ(農水族が自分たちへの利益誘導を狙ってこね上げた「フード・マイレージ」とかいうアホな屁理屈は科学的に完全に否定されている。日本にとっては外国農水産物を輸入するのが一番合理的な省エネ対策であることが立証されているのだ)。

毎度のことながら、環境によかれと思って、なけなしのお金をエコ商品への支出に遣ったナイーブな都市消費者の善意は、完全に裏切られる結果となった。

地域振興にかかわる商品券も対象になっているが、大阪天神橋商店街は対象から外れたようだ。可哀想だが、大阪なんかの都会もんを助けることは、いくら彼らが不況で苦しんでいたとしても、政治権力を握る利権集団であるイナカモンの利益にはつながらないので、お呼びではないのだそうだ。

ニッポンの政治は、毎度のことながら、とても憂鬱になる。

大泉一貫『日本の農業は成長産業に変えられる』

ニッポンの農業を取り巻く状況は複雑怪奇。たいていの人はおかしいなと思いながらも理解できない。どうしてこんなことが出来ないのと素朴な疑問を呈しようものなら、専門家と称する人から「あんたはなにもわかっていない、ニッポンの農業とはそんな簡単なものではないのだ」と複雑怪奇で奇妙奇天烈な理屈をとうとうと弁じられ、ますますわからなくなってしまうのである。でも、本当の専門家はそんなむつかしい理屈はこねず平易に説明してくれるものだ。著者の大泉一貫氏は、誰もが認める日本農業と農政の権威。理論ばかりではなく、現場の状況も知り尽くしている。だからこそ、ニッポンの農業と農政の実態とその桎梏からの脱出法をわかりやすく説明することが出来るのである。いまのニッポンの農業はどうもへんだと感じている人たちは、消費者はニッポンの農家にぼられすぎだと思っている人も、農村こそ新天地だとして自ら就農を考えている人も、ニッポンの伝統的稲作こそがニッポンの文化であり環境を守るのだと信じているエコロも、みんなこの本を読んだ方がいい。それぞれの立場で満足のゆく回答を見つけることが出来るだろう。ただ、農水族議員先生たちと自分の生活の糧を自分の働きではなく族議員たちの政治力だけに頼っている人たちは、激高してこの本を焚書にせよとまくし立てると思う。一貫センセー、負けずに頑張れ。



アマゾンの内容紹介によれば:

【農業は衰退産業ではない!】

本来、国際競争力を持ちうるコメの可能性を狭めているのは、
減反や高額関税などの米価維持政策である。

政治力を最大限に駆使する農協、「票と俵」のバーター取引を
持ちかける族議員たちが、「民生(社会保障)米価」を守って
きたために、日本の農業は停滞させられた。

「減反(生産調整)」をやめ、自主的なものとし、
「農地法」を改正し、眠る農地(耕作放棄地など)を意欲ある者にまかせれば、
日本の農業は見違えるほど活性化する!

また、その際には、農業経営者の育成や農商工連携を
通じたビジネスモデルの構築が急務だ。

農業の最大の課題は人材の枯渇にある。
まだ規制緩和の余地があるとはいえ、特区制度や農業生産法人を使い、
徐々に農業への企業参入の道も開かれつつある昨今、
日本の農業の産出額をいかに上げ、
成長軌道に乗せていくかを真剣に考えるべき時が来ている。

今こそ日本の農業が世界に打って出るチャンスなのだ。


【本書の構成】

第1章 コメで国際戦略を描け
第2章 農業を成長産業にする条件とは
第3章 農業が活性化するビジネスモデルを考える
第4章 農業への参入機会を国民全体に開け
第5章 農地法という企業参入に立ちふさがる高い壁
第6章 内向きの農政で衰退する我が国のコメ産業
第7章 政治に翻弄されてきた日本の農業


どうです。読んでみたくなるでしょう。新書版なので手軽に読める。でも内容は深い。

小生が特に印象深かった点は、日本の本来の農業とは、とても知的創造力に溢れた企業家的農業であったという点。農業はあくまでも「産業」だったのである。それが戦後の昭和30年以降、急速に萎縮し、衰えてしまった。

著者はこれこそ政治に翻弄された日本の農政と農家の所得維持向上だけを考えた戦後の保護政策と諸制度の問題だという。全く同感。

いまのニッポンの農業は、こうした政治的な利権追究の結果、この四半世紀の短い時間で出来上がった一種の「奇形」なのである。本来のニッポンの農業はもっと力強いものであった。いまの利権漬けニッポン農業こそが「ニセモノ」なのである。

ニッポンの農業を本来の正しい姿に戻せ!

6/19 Today 日米修好通商条約の締結(1858)

日米修好通商条約 - Wikipedia: "日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)は、安政5年6月19日(グレゴリオ暦1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約。幕末の混乱期から明治初頭にかけ、日本が列強と結ぶことを余儀なくされた不平等条約の一つである。幕府は同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結んだ(安政五ヶ国条約)。

この不平等条約の改正は、日本が日清戦争において清に勝利した後で、明治32年(1899年)7月17日に日米通商航海条約(昭和15年(1940年)1月26日失効)が発効されたことにより失効した。"

不平等条約といわれる所以は、日本に関税自主権がなかったから(関税はあらかじめ両国で協議する「協定税率」。関税自主権がない状態)。でも、このおかげで明治の日本は驚異的な経済発展を遂げることが出来たと経済学の泰斗ミルトン・フリードマンは主張している。

日経新聞で読んだ:
「明治の日本が成功したのは関税自主権がなかったから」(M.フリードマン): "昨年死去した自由主義経済の泰斗、M・フリードマン氏は「明治の日本が成功したのは関税自主権がなかったから」という逆説を唱えた。高関税による保護主義がとれなかったがゆえに、比較優位の高い繊維産業などへの資本集積が進み、経済の近代化が加速したという見方だ。

戦後の資本自由化でも多くの企業が危機感をバネに飛躍した。豊田英二・トヨタ自動車工業社長(当時)は70年の年頭の辞で「総力を結集して自由化に対処し、国際競争で勝利を収める覚悟」と述べている。陰に陽に保護され続けた農業や金融業が、国際競争力を持ち得なかったのとは対照的である。"

関税率を一国が勝手に決めることが出来ると、必ず国内既得権集団の利益となるように関税率が設定され、経済全体にはマイナスの効果をもたらす。いまの農産物の関税率がどれだけ消費者を苦しめ経済の足を引っ張っているかを見ればわかる。WTOもその問題を解決しようとして創設された。江戸幕府は、そこまで考えてはいなかっただろうが、えらかったのである。

2009年6月18日木曜日

6/18 Today ジューコフが死ぬ(1974)

ゲオルギー・ジューコフ - Wikipedia: "ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフ(ロシア語:Георгий Константинович Жуков,英語:Georgy Konstantinovich Zhukov, 1896年12月1日 - 1974年6月18日)は、ソビエト連邦の軍人、政治家。第二次世界大戦期を通じてソ連で最も活躍した軍人の一人で、ソ連邦元帥まで昇進した。

ノモンハン事件。ジューコフは、十分な戦力を準備し、1939年8月20日より関東軍に対する反撃を指揮した。自動車化された砲兵と歩兵の支援のもと、2個戦車旅団が戦線の両翼を進撃するという大胆な機動を行って日本の第6軍を包囲し、1個師団を全滅させるなどの大打撃を与えた。2週間の内に関東軍は撤退し、その後、国境線はソ連・モンゴルの主張通り確定された。

この戦闘におけるソ連側の損害も決して少なくなかった。ただ、ソ連の戦術は、基本的に数の圧倒的優位で勝利を狙うもので、その勝利の基準は損害の寡多ではなく、戦闘課題を達成できたかどうかである。ソ連軍は圧倒的な人的物量を誇っていたので、死傷者数はほとんど問題にならなかった。"
けっこう長生きした。スターリンに粛正されずこれだけ生き延びたとは、さすがはとてもエライ「戦略家」である。

半藤一利によれば、ノモンハン事件の後、ジューコフはスターリンに次のような報告を行ったよし:
5/11 Today ノモンハン事件(1939)……ジューコフの“あっぱれな正答”: "日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である。"

当時の日本軍の強みと弱みをよく見抜いている。さて、いまでもこれが言えるのか。ちょっと心配。

iPhone OS 3.0 : おいらもアップデート中!

真夜中の午前二時にアップデート可能となったらしい。自動的にやってくれるのかと思っていたら、自分でやらねばならない。やり方:
iPhone OS 3.0にすんなりアップデートさせるための準備 - builder by ZDNet Japan: "iPhoneを接続してからiTunesを起動し、[デバイス]→[概要]タブの順に画面を開き、[アップデートを確認]ボタンをクリックすればOKだ。"
そうなのか。

延々と時間がかかっている。起きたときにはじめたんだけれど、まだ終わらない。世界中から殺到してきているからかな?

2009年6月17日水曜日

「還暦を過ぎたら、もう健康に留意するな」(高任和夫)

今日の日経夕刊「さらりーまん生態学」。高任和夫に大賛成。他にも「ポリティカリー・コレクト」じゃないことを連発。すべて正しい。襟を正して読むべきだ。

曰く;
  1. 定年の挨拶状を貰う。概ね「心身の健康に留意し、これからは生き甲斐を探したい」とある。アホだ。
  2. 第一、還暦を過ぎたら、もう健康なんか関係ない。大いに酒を呑み、たばこを吸い、遊びまくって、そして死ねばいい。
  3. 日本の国家目標は、経済成長を遂げ、長寿社会を作ると言うことであったが(そのために喫煙者は犯罪者のように扱われるが)、その結果「少子高齢化」などという問題が生じてしまった。そのような国を目的としていたのではなかったか。
  4. 地方の過疎化もそう。若者を東京に集めれば、地方に人材は残らない。地方分権と言うが、人材不足を抜きにしてなにが分権か。
  5. 挨拶状に定年後に人生の目的を探すとあるが、定年まで探せなかったものが、定年になり暇が出来たと言って、探せるわけがない。
  6. 最近やっとわかったが、おれはあと1年か2年しか生きられないのだと思うことだ。そう腹を決めれば、いまのこの世を楽しむことが出来る。

高任和夫の名調子に座蒲団三枚。現代ニッポンには、おかしなちぐはぐなことが多すぎるのである。ゆえに壮大なエネルギーと資源の無駄遣いが生じている。

6/17 Today 原節子さんのお誕生日(1920)

原節子 - Wikipedia: "原 節子(はら せつこ、本名:会田 昌江/あいだ まさえ、1920年6月17日 - )は、日本の女優。

「永遠の美女」「永遠の処女」などと謳われた日本映画黄金時代の大女優であるが、42歳の時に引退した。

1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を現さないように隠棲。その後は神奈川県鎌倉市で親戚と暮らしているという。"
今日は89歳のお誕生日。

42歳で「隠棲」とは、カッコイイ!

2009年6月16日火曜日

「文部省の実学志向が、若者の内向き現象を生み出した」(鹿島茂)

先週の予告の通り、鹿島茂は若者の内向き指向について議論を続ける。ちなみに先週のお話しとはこういうもの:
Letter from Yochomachi: 「男が”内ごもり”になるのは自然の傾向」(鹿島茂)

この続きが今日の日経夕刊(以下)。ふむふむ、なかなか面白い。

曰く:
  1. 「内向き」現象は、二段階の変化による。一つは、1975年代から生じた大学生の質的変化。もうひとつは90年代のバブル崩壊以降の社会の変化。とりあえず前者について論じる。
  2. 明治の開国で、大衆は舶来品を有り難がっただけだったが、高等教育を受けた階層は例外なく欧米の文化を一つの規範として受け入れた。教育を介して「知」の過程にアクセスすることで、彼らの心の中に「遠方指向性」が生まれたからだ。
  3. これが1975年頃まで続いた。ところが団塊の世代が大学を卒業し終わった頃から、地滑り的変化が生じた。外国のモノ、とりわけブランド品が街に溢れるのに反比例して外国文化への興味が失われた。
  4. 知的エリートであるはずの大学生が、遠方指向性を特徴とする知的上昇の過程に入ることなく、子供時代の延長として「モノ」を愛するようになったからだ。男子においてはオタク化現象、女子においてはブランド品愛好となってあらわれた。
  5. 学園紛争に懲りた文部省が、大学を郊外に移し、学生を無菌化し、社会との接点を失わせ、「君はそういう余計なことを考えなくていいよ」と呼びかけ、大学生の知的過程への参入機会を消滅させ、必然的に遠方指向性をなくし、外文系への無関心を生じさせたからである。
  6. しかし、それはまだまだほんの序曲にしか過ぎなかったのである。

おやおや、まだ続くらしい。これは楽しみ。

6/16 Today 楊貴妃が死ぬ(756)

楊貴妃 - Wikipedia: "楊貴妃(ようきひ、719年(開元7年) - 756年7月15日(至徳元載(元年)6月16日))は中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと言われたため、傾国の美女と呼ばれる。古代中国四大美女(楊貴妃・西施・王昭君・貂蝉)の一人とされる。現代でも世界三大美女の一人とされている。(クレオパトラと楊貴妃に、ヘレネ(日本では小野小町)が加わる)。実際は太っていた説もある。"


写真は西安の華清池に立つ楊貴妃の像。長恨歌にはこうある:
長恨歌 - Wikipedia: "春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂・・・・・春まだ寒いころ、華清池の温泉を賜った。温泉の水は滑らかに白い肌を洗う。"

「温泉ノ水 滑ラカニシテ 凝脂ヲ洗フ」という文句は、おいらが中学生の時、国語のセンセーに覚えさせられた。「エムシー」というあだ名の怖い先生だったが、人並みにスケベーだったのかな。

2009年6月15日月曜日

日経「らいふプラス」:なぜか”褒め合い族”

日経夕刊は、大衆迎合のムラ・エコロ記者が多くて敬遠気味だったのだけれど、これは面白かった。最近のニッポンでは、ただただ褒め合う大人が増えてきたらしい、このココロは?……とのレポート:

  1. 伊勢丹浦和店では営業成績グラフに褒め言葉をやたらに連発する。名付けて「褒めあいカード」。社員には大好評。
  2. 就職活動を控えた学生向けセミナーを運営する企業でも、学生は思いっきり褒めることにしている。おかげで高い受講費にもかかわらず大繁盛している。
  3. 「特に若者に自信が持てない人が目立つ」と企業研修を手がける企業の代表者。そのため従業員の美点を探すビジネスも登場している。従業員を褒めることで業績アップにつながるという。
  4. 伊勢丹アイカードでも「褒めあいカード」を導入してから「職場の結束が強まった」という。
  5. 褒め言葉がパソコン画面いっぱいに次々現れるサイト「ほめられサロン」すら登場。最近は一日15万件を超えるアクセス。
  6. なぜそうしてまでして褒められたいのか。一部では反骨心の喪失につながるとの懸念する声もある(白梅学園大学学長汐見氏)。「いざこざを避けるため、安易に褒めている面があるのではないか」と北海道教育大学の伊藤進教授。「脳にとって褒め言葉はお金と同じ」とは自然科学機構の定藤教授。
  7. 安易な褒め言葉に慣れた人は、もはや叱れないのではないか。そんな不安を感じる向きもある。

要は、甘ったれの精神がニッポンに広がってしまったと言うこと。何でもかんでも苦しいからといって補助金と地方交付税にすがるという精神もここからでているのである。「一億総タカリ」現象。褒め言葉のインフレは貨幣価値のインフレにつながる。あまりニッポンの将来に楽観的にはなれない。

6/15 Today エラ・フィッツジェラルドが死ぬ(1996)

エラ・フィッツジェラルド - Wikipedia: "エラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald 1917年4月25日 - 1996年6月15日)はアメリカ合衆国のジャズ・シンガー。サラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイと並び称される女性トップ・ジャズ・ボーカリストの一人。

13回のグラミー賞受賞に加え、イェール、ダートマス、プリンストン大学において名誉博士号を授与され、ジョージ・W・ブッシュ大統領からは大統領自由勲章を授与されるなどレコードセールス、批評の両面で高い評価を受けた。

Lady Ella、またはThe First Lady of Jazzとも呼ばれている。"
合掌。


2009年6月14日日曜日

NHKニュース:鳥取のスイカ、ドバイに一個三万円で輸出!

このニュース:
山陰中央新報 - 鳥取のスイカをドバイに輸出: "糖度一一度以上で重さ十二キロ前後の大玉五十四個を厳選し一個ずつ箱詰めした。現地では「鳥取中央スイカ」のブランド名で販売。価格は一玉三万円程度という"
とても結構なことだと思う。ボルのならアラブのバカなお金持ちからだけにして欲しい。ニッポンの農村が日本の貧乏な都市住民を搾取するのは、もうやめて欲しいと思う。

一個十万円のマンゴーとか、一個20万円のメロンとか、もうたくさん。おいら都市住民は、自民党イナカバラマキ政治のおかげでヒャクショウに搾取されまくり、おかげですっかりビンボーになってしまった。もう、ない袖は振れません。

その意味で、日本の都市住民からボルだけボルという従来の政策を見直し、アラブの金持ちにターゲットと絞った鳥取農協は先見の明がある。どんどんやって下さい。おいら都市住民は、とてもお付き合いできかねるから。

「このままオタクが増え続ければ日本人は道を誤る」(久間十義)

今朝の日経文化欄で作家の久間十義が大切なことを言っている。オタクたちの「萌え」志向や世界観が世の中で支配的になれば、私たちはますます衰弱して、リアリズムが貫徹する他国の人々に軽んじられることになるという。メモ:
  1. 私はかねがね、オタクや腐女子と呼ばれるアニメやゲーム漬けの若者たちが増殖することに、かすかな懸念を抱いてきた。
  2. 私たちは小説や批評を読むことによって、生活の真実を知り、また生きてゆくための規範や行動の基準のようなものを学ぶ。流行歌もそう。マンガやアニメもそう。ここにあるのは自らに何らかの役割を振り、その役割によってようやく自分たち得る私たちの姿である。
  3. こうした前提を認めれば、オタクや腐女子では「萌え」が判断基準になり、行動の準則になることは明瞭だろう。彼らはどっぷり浸かっているゲームやアニメの世界を生きて、いま、ここにある現実を生きようとしないように見える。その結果、ついついリセットできるゲーム感覚で国際折衝に臨み、外国人に鼻面を引き回されることだって起こりうる。
  4. 百年に一度と喧伝される経済危機の中、財政出動を決意した政府が、世界に冠たる日本のアニメ文化を発信するためアニメの箱物を作るという。「萌え」は老人により先取りされているらしいのだ。私の短絡や懸念と重ならないことを祈るばかりだ。

こういう発言をするのは、いまのニッポンでは勇気が要ることとなってしまった。この人は知らない作家だが、エライと思う。たしかにアニメが好きな内閣総理大臣による「アニメ箱物」プロジェクトは見苦しい。

6/14 Today ボルヘスが死ぬ(1986)

ホルヘ・ルイス・ボルヘス - Wikipedia: "ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges、1899年8月24日 - 1986年6月14日)は、アルゼンチン ブエノスアイレス生まれの小説家、詩人。本名、ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベード。代表作として、『伝奇集』、『幻獣辞典』など。ダンテの『神曲』を「あらゆる文学の頂点に立つ作品」と称え、講義集を残している。"

国家が衰退していくときにもでも芸術は生き残ることがある。でも長くは続かない。ボルヘスもアルゼンチンが豊かであった時代の落とし子なのである。

アルゼンチンは、国民が圧倒的に支持したペロンのバラマキ主義ポピュリズムのせいで、世界有数の富裕な国から世界有数の貧乏国に落ちぶれてしまった。ボルヘスは、このポピュリズムを蛇蝎の如く嫌ったが、しょせん多勢に無勢。最後は国を捨ててスイスで死ぬ。

ボルヘスは母国語であるスペイン語よりも英語で書くことを好んだ。英語の方が、言語の構造上、感情を直接伝えることが出来るというのだ。たとえば形容詞に接尾語をくわえて出来る形容動詞だが、英語なら "rapid" に"ly" を加えて "rapidly" となるがアクセントは前に付くので "rapid" が強調される。それに対してスペイン語の接尾語は"mente" となりおまけに最後から二番目の母音にアクセントが付くので、無意味な音が強調されてしまい詩的ではないという。これは中世のスペイン言語院が機械的にルールを決めたためだが、同じような例を明治以降の「現代日本語」や韓国語にも見られる。将軍様の大本営発表ニュースが「ハムニダ」ばかり目立って滑稽なほど単調なのもそのためだ。

荷風も同じ理由で明治以降の日本語を嫌った。文語の方がよほど美しいのである。文語漢語が多い荷風作品はそういう観点からもっと読まれてしかるべきだと思う。

2009年6月13日土曜日

豚インフルエンザのワクチン、ノバルティスが製造開始!

さっそくワクチンが:
ブタフルワクチンもう製造: "ボイスオブアメリカ(VOA)によれば、いち早く、スイスの丿バルティス社がブタフルのワクチンを製造したそうです。鶏卵を使うのではなくcell-basedの製造というから凄い技術力です。しかも、臨床試験を来月7月から行うそうです。さすが丿バルティスですね。"
ノバルティスは買いかな!

NVS: Summary for NOVARTIS AG

きのう一日で4%も上がった。高齢者は免疫を持っているらしいからそんなに売れないとは思うけれど、対応のスピードが速い。

6/13 Today 明智光秀が死ぬ(1582)

明智光秀 - Wikipedia: "明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系で摂津源氏の傍流で、美濃源氏の流れを汲む土岐氏の支流である明智氏。妻は、妻木煕子。その間には、嫡男・光慶(十五郎)、織田信澄室、細川忠興室・明智珠(洗礼名:ガラシャ)がいる。

本能寺の変から11日後の天正10年6月13日(西暦7月2日)、新政権を整備する間もなく、本能寺の変を知って急遽毛利氏と和睦して中国地方から引き返してきた羽柴秀吉の軍を、現在の京都府大山崎町と大阪府島本町にまたがる山崎で迎え撃つことになった。同日深夜、坂本を目指して落ち延びる途上の小栗栖(京都市伏見区)で、落ち武者狩りの百姓・中村長兵衛に竹槍で刺し殺されたとされる。"


光秀の造反の理由にはいろいろ説があるらしい。ともあれ、信長はたいへんな人だったってことは事実。周りの人はたいへんだった。

娘のガラシァ夫人のお墓は紫野大徳寺の高桐院にある。あそこには小さいけれど京都屈指の美しい庭がある。

2009年6月12日金曜日

6/12 Today 中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺(645)

大化の改新 - Wikipedia: "皇極天皇4年(645年)6月12日、飛鳥板蓋宮にて中大兄皇子や中臣鎌足らが実行犯となり蘇我入鹿を暗殺。翌日には蘇我蝦夷が自らの邸宅に火を放ち自殺。蘇我体制に終止符を打った。"
殺そうと段取りを付けるだが刺客役がびびってしまいなかなかうまく行かない。この日の経緯についての日本書紀の記述は、臨場感に溢れている。

ここに現代訳があった:
乙巳の変 - Wikipedia:"645年、三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢(三国の調)の使者が来日した。三国の調の儀式は朝廷で行われ、大臣の入鹿も必ず出席する。中大兄皇子と鎌子はこれを好機として暗殺の実行を決める。(大織冠伝には三韓の使者の来日は入鹿をおびき寄せる偽りであったとされている)

同年6月12日、三国の調の儀式の儀式が行われ、皇極天皇が大極殿に出御し、古人大兄皇子が側に侍し、入鹿も入朝した。入鹿は猜疑心が強く日夜剣を手放さなかったが、俳優(道化)に言い含めて、剣をはずさせていた。中大兄皇子は衛門府に命じて宮門を閉じさせた。石川麻呂が上表文を読んだ。中大兄皇子は長槍を持って殿側に隠れ、鎌子は弓矢をとってひそんだ。海犬養勝麻呂に二振りの剣を運ばせ佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田に与えた。

入鹿を斬る役目を任された二人は恐怖し、飯に水をかけて飲み込むが、たちまち吐き出すありさまだった。鎌子は二人を叱咤した。石川麻呂が表文を読み進めるが子麻呂らは現れない、恐怖のあまり全身汗にまみれ、声が乱れ、手が震えた。不審に思った入鹿が「なぜふるえるのか」と問うた。石川麻呂は「天皇のお近くが恐れ多く、汗が出るのです」と答えた。

中大兄皇子は子麻呂らが入鹿の威を恐れて進み出られないのだと判断し、自らおどり出た。子麻呂らも飛び出して入鹿の頭と肩を斬りつけた。入鹿が驚いて起き上がると、子麻呂が片脚を斬った。入鹿は倒れて天皇の御座へ叩頭して言った「私に何の罪があるのか。お裁き下さい」。天皇は大いに驚き中大兄皇子に問うた。中大兄皇子は「入鹿は皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしました」と答えた。皇極天皇は直ちに殿中へ退いた。子麻呂と稚犬養網田は入鹿を斬り殺した。この日は大雨が降り、庭は水で溢れていた。入鹿の死体は庭に投げ出され、障子で覆いをかけられた。"


騙されて武装解除をしてしまったのが入鹿の敗因。

ちなみに、人間は極度に緊張すると嘔吐してしまう。入鹿暗殺の時の刺客もそうだが、前世紀ではピストル決闘を前にした若者とか、今世紀ではノルマンディー上陸作戦での上陸艇上の兵士とか。大薮春彦小説の主人公ですら突撃の最中は恐怖のあまり失禁する。こういう経験をしてない世代は、しょせん甘い人生しか過ごしてこなかった世代であり、まさかの時には役に立たないのではないか。エコで自己満足しているようじゃ将軍様に勝てない。

2009年6月11日木曜日

第5回三菱UFJ信託銀行劣後債……当たりました!

利率2.52%、8年債(実質3年)、おいらにも回ってきた。

中央三井信託銀行の劣後債は、申込み初日の朝一で電話したのに、まだ「順番待ち」。えこひいきされているのかな〜。

発行機関と販売会社は透明性のある公平な割り振り方法を決めて公表するべき。

だいたい普通の人が社債発行の事実を知るときには、良い条件のものはたいてい売り切れている。前広に情報を集めることがキモ。大サービスでとっておきの情報源を公開。このサイト(↓)は役に立つ:

個人向け社債ウォッチ!


6/11 Today ジョン・ウェインが死ぬ(1979)

ジョン・ウェイン - Wikipedia: "ジョン・ウェイン(John Wayne,本名Marion Robert Morrison,1907年5月26日 - 1979年6月11日)は、アメリカの俳優。「デューク」の愛称で呼ばれた。1979年6月11日にカリフォルニア州ニューポートビーチで胃癌で死去"
合掌。

とにかく単純明快なのがいい。安心して映画を見ていられる。この世の中、ややこしくって深刻なことでいっぱい。せめて映画だけでも単純で明快なのがいい。

2009年6月10日水曜日

「男が”内ごもり”になるのは自然の傾向」(鹿島茂)

きのうの日経夕刊「プロムナード」で鹿島茂が面白いことをいっていた。続きが来週にあるらしい。メモ:
  1. 日本人、特に若い世代の「内ごもり」傾向が顕著である。自発的な「鎖国」のように見える。
  2. でも若い女性はそうではない。「外向き」である。すべての統計と個人的経験がそれを物語っている。なぜ男性は「内ごもり」で女性は「外向き」になるのか。外への脅えが男子にのみ著しく、女子には希薄なのはなぜか。
  3. それは、デズモンド・モリスによると、人類のほとんどが外婚(女子が部族から出て他の部族に嫁ぐ)という形式をとっていることと関係するという。
  4. 現在、日本で女子の方が国際交流や海外留学に積極的なのは、それが「本来の姿」だから。自然に放置しておけば、男子は外に出ようとはぜず、内にこもってしまう傾向が強いのである。
  5. しかし、明治・大正・昭和の時代は男子も「外向き」を余儀なくされた。これは「例外的」な時代であった。平成になり、社会は大きく変わり、「内ごもり」が状態と化した。
  6. では、いったい、平成になって、なにが変わったのか? これについては次回(来週)。


もったいぶらずに結論を先に言えばいいのに。でも気になる。

Safari 4.0 は良いですな!

マックを立ち上げると新しい Safari にアップデートしろと言うのでやってみた。すごく使いやすいですな。

いろいろ新しくなっているらしい(ここ)。むつかしいことは解らないけれど、インターフェイスがこれまでと全く違って、ページをめくるような感覚でよく使うサイトや履歴をめくることが出来る。こんな技術進歩なら大歓迎。

6/10 Today アレクサンダー大王が死ぬ(BC323)

アレクサンドロス3世 - Wikipedia: "アレクサンドロス3世(ギリシア語:Αλέξανδρος ο Μέγας、ラテン文字転写:Aleksandros III Megas、紀元前356年7月? - 紀元前323年6月10日、在位前336年 - 前323年)はマケドニア王国のテメノス朝のバシレウス(国王)として即位、後にコリント同盟の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物。アレクサンドロス大王とも呼ばれるが、この場合は英語読みでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。"
アレクサンドロス3世という名前でも解るように歴とした「世襲政治家」。

日本の世襲政治家が批判されている。でもアレキサンダー大王は、幼少の時より父親にアリストテレスを「家庭教師」として付けて貰うなど徹底した英才教育を受けた。世界の動植物を集めたりして古典的ギリシャ教養と博物学をアリストテレスに学んだ。成人したときには充分な世界観を持っていたのである。世襲制度の善し悪しよりも、どれだけ学んだかで結果を判断されなければいけない。

同じ世襲政治家でも、いまのニッポンの世襲政治家が父親から教えてもらうのは、ムラ的選挙地盤の維持方法や選挙資金捻出の小賢しいテクニックだけ。これじゃ世のためにならない。このような状況では政治家の世襲はやめた方がいい。

2009年6月9日火曜日

6/9 Today ディッケンズが死ぬ(1870)

チャールズ・ディケンズ - Wikipedia: "チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens, 1812年2月7日 - 1870年6月9日)は、イギリスのヴィクトリア朝を代表する小説家。ポーツマスの郊外に生まれた。その登場人物は広く親しまれており、イギリスの国民作家とされる。作品は『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『デイヴィッド・コパフィールド』『二都物語』『大いなる遺産』など。1992年から2003年まで用いられた10UKポンド紙幣に肖像が描かれている。"


エライ作品が多いのだが、あまり幼いときに読んでしまうと面白みが解らない。おいらも卵焼きを作るときは小麦粉を入れると量が増えるとかいうくだりぐらいしか覚えていない。大人になったからもう一度読んでみよう。

まだ読んでない古典がいっぱいある。とても今どきの小説なんか読んでるヒマはない。

2009年6月8日月曜日

「”KY”と”上からの目線”を意識する若者に世の中へのおびえを見てしまう」(清水義範)

日経夕刊の「プロムナード」で名言を拾った。清水義範は、言葉を選びながらも、ああいう風潮はとてもカッコ悪いという:
  • とても周囲のことを気にしているんだなあ、と思う。全体の和を重んじる、というのが日本人の精神構造の根っこにあるのは知っているが、若い人も、そのことをかなり強く意識しているのだ。むしろ、空気を読めない人間と思われ、全体からはみ出してしまうのを恐れているんじゃないだろうか、という気すらする。
  • 「上からの目線」。若い人は集団の中にいる時、自分がどのランクに見られているのかということをものすごく気にしているのだ。高く見られているのか、低く見られているのかをピリピリして感じ取っていて、ひどく傷ついたり、ムカツイたりしているのだろう。
  • 生まれてはじめて幼稚園に入った子が、いろいろ傷つきながら社会性を身につけるようなことを、社会に出たぐらいの若者がピリピリかんじているような、世の中へのおびえを見てしまう。

これは「名言集」に収録。「今どきの若者は……」というたぐいの発言でもないと思う。今の若者はものすごく古代ニッポン人の農村ムラ的精神風土への「先祖帰り」をしているのである。恐ろしいくらいだ。それがいいことだとするのが「ポリティカリーコレクト」なのかも知れないが、マッカーサーが「日本人の精神年齢は12歳」と言い放ったように、あまり国際的にはカッコイイものじゃない。

おいらも前から気になっていた。例えばこんなことも書いた:

日経:「目立ちたくない!」近頃の子供たち……心配、“モヒカン族”頑張れ!

Letter from Yochomachi: 「"KY"から"AKY"へ」(日産自動車相談役名誉会長、小枝至)

2/26 Today 2・26事件(1936)……この幼児性こそが問題だった

Letter from Yochomachi: 麻生太郎の限りなき「軽さ」

NHK/「ホームランを打った気持ちは?」

これは学校教育の問題というよりは、NHKをはじめとするマスコミを動員して「みんな一緒に仲良く楽しく地球にやさしい」とかの文化で国民を洗脳することで、自分たちへの利益誘導を狙う一部の既得権集団が組織的に演出した陰謀なのだろうと思う。洗脳されてしまった若者たちが不憫でならない。

ソフトバンク社債、買えず!

これ:
第27回無担保社債発行に関するお知らせ | ソフトバンク株式会社: "第27回無担保社債発行に関するお知らせ"

危なっかしそうだったけれど二年は大丈夫だと思ってこわごわ申し込んでいたものだが、枠がとれなかった。そうなると惜しかったと思うのは人間の心理か。

海の向こうと違ってニッポンシステムのもとでは会社は簡単には潰れない。高利回りの社債は狙い目かもしれない。

今月もかなりの個人向け社債の発行が予定されている。ポンプ会社のCBなんかも狙い目か。

6/8 Today ムハンマドが死ぬ(632)

ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ - Wikipedia: "ムハンマド(محمد Muḥammad 570年頃 - 632年6月8日)は、イスラーム教の開祖。アラビア半島西中部、ヒジャーズ地方の中心都市メッカの支配部族であるクライシュ族出身で、その名門ハーシム家のひとり。イスラーム教では、モーセ、イエス・キリストその他に続く、最後にして最高の預言者(ナビー)でありかつ使徒(ラスール)とみなされている[1]。また世俗君主としても有能であり、アラビア半島にイスラームの神権国家を打ち立てた。"

伝承によればムハンマドの妻は22人。艶福に恵まれた人であった。天国についても次の発言で知られる:
ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ - Wikipedia: "イブン・カスィールによれば、ムハンマドは『天国では男性は一日100人の処女(フーリー)とセックスが出来る』と述べていた[25]。また、『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』と問いかけた信者に対して、『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』と述べたともしている[26]。"
ところが、これは誤訳であるという学説が出現した。

この学説とはこれ。ルモンド記事を拙者が翻訳した:
Le Monde (余丁町散人) コーランに書かれている天国の処女達とは単なる白い果物のことだったのか?: "もっと驚くべきことは、コーランで有名な天国の楽園の処女達とは単に葡萄の実のことであったとする解釈だ。(コーランに書かれている天国で待ち受けているという)「目が大きい処女達」とは「クリスタルのような白い果物」と読むべきとのことだ。"

こっちの方が確かに道徳的だ。